さあ、年長者から何を学ぼうか?という時代を生きる
昔はね、お年寄りはなんでも知っていて、年長者を敬えって言われてたの。
ずいぶんその空気、変わってきたな、と思う。
日本は超高齢社会になった。
高齢化社会ではなく超高齢社会ね。
50代以上の人たちはずっとマジョリティー(多数派)で、若者たちはいつまでもマイノリティー(少数派)で。
多数派がいつまでも「俺たちを敬え」とやっていたら、この国は終わる。
最近、イェール大学の成田先生のおしゃべりをよく目にする。
成田先生の話は実に的を射ていて、「若者に道を譲れ」と説く。
なかなか痛快だな、と思う。
社会全体の構造が変わってしまった。
昔はね、年長者が偉かった。
わからないことは年長者に聞けばよかった。
ところが、だ。
今はググれば答えに辿り着ける時代になってしまった。
本を読んだり、高額なセミナーを受講しなければならなかったことが、YouTubeで学べる時代になってしまった。
そうなると、むしろそういったことに長けた若者の方が優位な時代になってしまった。
年長者は「俺たちを敬え〜」と言っているわけだけど、若者からすると「敬う理由はなんですか?」となる。
いやはや、そういう時代なのだ。
もう一度問う。
敬う理由はなんだ??
それを見つけられなければ、年長者はただ年を重ねただけの人になる。
僕だって同じだ。
敬う理由を持てなければ、老害化する一人になるだろう。
年長者が偉く、若者は偉くないという時代は終わった。
だけど、勘違いをしては行けない。
決して若者が偉くなったわけではないのだ。
簡単に言えば、若いか若くないかは、この際どうでも良いよね?って時代になったのだ。
先日、友人のFacebook投稿を見て、笑ってしまった。
大学生の子と話していて、アメブロの話をしたら、「アメブロってなんですか?」と尋ねられて驚いた、と言っていた。
「アメブロ書いている」って、僕らで言えば「交換日記やってます」的な古めかしい感じなのかもしれない。
僕はよく言うのだけど、SNSでビジネスをしていると言っている人の中で、「Facebookとアメブロをしてます」みたいな人はマジでヤバいと思っている。
で、「くれちゃん、どうしたらいい?」と尋ねられるたび、「TikTokやったら?」「Youtubeやったら?」と伝えるけれど、それで新しい何かを始めた人間に出会ったことがない。
何がヤバいかというと、TikTokやYoutubeをやっていないことがヤバいのではない。
こういう時代を生きていて、すでに行き詰まっているのに、新しいことを始められない「古さ」にヤバさを感じているのである。
OSのアップデートができていないのだ。
石の上にも3年というOSは捨て去る必要がある。
続けちゃダメだ。
さっさと捨てろ。
今の若い人たちはすぐに始める。
「あっ!これ面白そう!」と感じたら、とりあえずやってみる。
この感覚、中高年にはない感覚だ。
んで、つまらなければやめる。
損切りが早い!
みんながやり出してから始める中高年。
それじゃ遅い。
そんなわけで、そんな古いOSで生き残れるほど、今という時代はゆっくり流れていないのである。
アップデートしなければ、時代に置いていかれる。
年を取っているだけで敬ってもらえる時代は終わった。
老若男女問わずフラットな社会を僕らは生きているのだ。