教員を志す人が減少したのは、本当に給与が少ないからか?

学校の先生

一見事実のように見えるけれど、それって本当に事実なの?なんてことは山ほどがある。

 

 

近年、教員採用試験の倍率がどんどん低下している。

教育現場は慢性的な人手不足。

なり手がいないのである。

 

 

そんな惨状を見て、偉い学者さんが「教員の給料が少ないから、教師を志す人が減ったのだ。だから、給料を上げろ」と言った。

それを聞いて、教師たちは「そうだ、そうだ」とつぶやいた。

 

 

たしかに、残業代も出ず、休みの日も出勤し、持ち帰りの仕事も多い。

その働きに見合った賃金を払えという主張は、もっともなように聞こえる。

 

 

だが、果たして給料の多い少ないという話と「なり手がいない」という問題は、本当に因果関係があるのだろうか?

 

 

この一見めちゃくちゃ因果関係がありそうな給料と雇用の話なのだけど、「本当に?」に問いたい。

 

 

教員を志す若者から、給料の多い少ないという話題を聞いたことがない。

「給料少ないから辞めておきます」という声を聞かない。

 

 

既に働いている人は、その大変さと精神的な負担感にが、給与に見合っていないと感じているのだろう。

だが、一般的な感覚では、それでもこのご時世では十分な給与に映るのは仕方がないことかもしれない。

 

 

だから、学生の感覚でその給与が極めて少ない、もしくは仕事の負担感に対して見合っていない、とは感じにくい。

なぜなら働いたことがないからだ。

 

で、よく耳にするのは、「なんか辛そうだから辞めておきます」だったりする。

そうそう、なんだか大変そうなんだもん!

その、「なんだか辛そう」だって、働いていないにも関わらずそう感じている、まー、つまりイメージですよ。

 

 

僕のところに届く質問も「給料いくらぐらいですか?」なんて質問はなく、「僕でもやっていけますか?」「辛くないですか?」みたいな質問が多い。

 

 

そもそも、僕が教師を目指したとき、「給料をいくらぐらいもらえるか」なんてことを考えて、教員採用試験を受けたわけではない。

いくらぐらい貰えたら教員になって、いくらしか貰えないなら教員にならないなんて基準はなかった。

 

 

ただ単に先生になりたかったし、なってから、「あー、こんなにもらえるのか」と思っただけだ。

 

 

だから思うに、給料を上げたところで、今働いている人は喜ぶけれど、それで教員採用試験の受験者が爆増するとか、こぞって講師登録をするとかはないんじゃないかな、と思う。

 

 

Twitter界隈の先生たちを眺めていると、「とにかく仕事が辛い!」という文脈のツイートが並んでいる。

「超楽しいっすよ!」みたいな声はほとんどなく、「辛い!」「きつい!」しか見ないんだよね。

 

 

そのうえ部活動とか、黒板アートとか、楽しんで働いている人をとにかく叩くし、バカにする。

好きでやってるんだから、それでいいんじゃないの?と思うのは僕だけだろうか。

やりたい人はやればいいし、やりたくない人はやらなければいい。

 

 

まあ、それは置いておいて、そういう「辛い!」「苦しい!」という現場の声に日々さらされている学生が、果たして学校現場で働こうと思うだろうか。

ここがポイントなのだ。

 

 

つまり、まだ働いてないけれど、働いたらすごく大変っぽい、、、ということだけが一人歩きした状態だと言える。

 

 

問題は本当に働き方か?給料か?

これを間違えると、施策を間違えるからね。

 

 

そんなとき、ある女子生徒の言葉を思い出す。

あれは中学3年生の春先、進路について考える授業の時間だった。

 

 

僕は子どもたちに、こんな問いを投げかけた。

 

「将来、どんな大人になりたい?」

 

すると、学級委員の女の子が

「あー、先生みたいな大人になりたいな」

とつぶやいた。

 

僕は驚いてしまい

「こんなおじさんみたいになってどうするよ?」

と投げかけた。

 

すると、隣に座っていた女の子が

「あー、それ、わかる」

と叫んだ。

 

思春期真っ盛りの女子中学生が、40代目前の男性教諭みたいになりたいとは、どういうことだろう?

 

僕は黙って耳を傾けた。

 

「だってさ、私の周りに、先生みたいに楽しそうに生きてる大人っていないんだよね」

 

そういうことなのだ。

 

 

 

なぜ先生のなり手が減っているのか。

それは学生にとって魅力的な職業に見えないからである。

シンプルな理由だよなぁ、と思う。

 

 

落ち着いた学校に勤めているとき、「将来なりたい職業は?」という問いを投げたら、学級に数名は「学校の先生」と書く子がいた。

ところが、荒れた学校に赴任したら、そんな子は皆無で「なぜ?」って尋ねたら、「そんな大変な仕事、無理だわ。先生だけにはならない」と言われたっけww

 

 

職業選択は給料が高い低いだけで決まるわけではない。

むしろ給料の高い低いは、働き始めてから切実な問題となって降りかかるわけだが、アルバイトの給料で遊んで暮らしてきた学生から見れば、毎月定額で振り込まれる公務員の給与は十分な報酬に映る。

 

 

それよりも「働く姿」が魅力的に見えないことが問題なのだ。

大変そうに見え、辛そうに見え、楽しくなさそうに見える。

このことが問題なのだ。

 

 

公務員として就職するということは、これから先10年20年30年と働く場所を選択するということなのだ。

その場所が魅力的に見えないということが問題なのだ。

 

 

では、なぜ魅力的に見えないのか。

それを生み出しているのは情報である。

 

 

日々教育現場から発せられる現場の声が魅力的ではないのだから仕方がない。

 

 

「こんなに辛いんです」

「こんなに大変なんです」

 

 

そう訴えれば訴えるほど、それを見た人たちは「そんな仕事はやりたくないなー」となる。

 

 

「こんなに大変なのに給料が安いんです」と訴えたところで、誰も給料なんて上げてくれない。

だって、給料を上げなくても辞めない人は辞めないし、辞める人は辞めるなんてことは、管理する側はわかっていることだから。

 

 

ただ、なり手が減れば、その皺寄せは自分にやってくるのだ。

だから、情報発信というのは、本当に重要である。

 

 

苦しい状況を語ったところで、誰もその現実を変えることはできない。

魅力を語れば、いっしょにがんばりたいと思う人が現れる可能性がある。

 

 

そういう点で言えば、部活動をがんばっている先生とか、黒板アートを楽しんでますとか、そちら側の先生の発信の方が、若者にとって意味あることなんじゃないかな?と僕は思う。

くればやし ひろあき

・株式会社ミナクル組織研究所 代表取締役

・フォロワー10万人の教育系TikTokクリエイター「くれちゃん先生」として人間関係や教育についての動画を配信

・1978年、愛知県生まれ。16年間公立中学校の教員として3,000人以上の子どもたちを指導。名古屋市内で最も荒れた中学校で生徒指導の責任者を務め、その後、文部科学省から上海に派遣され、当時世界最大の日本人学校であった上海日本人学校の生徒指導部長を務める。

・2018年~2019年 100人のボランティアスタッフをマネジメントして『子育て万博』を主催。

・2021年~2024年 パリコレクションのキッズ部門を日本に誘致して開催された『Japan Kids Fashion Week』において、全体計画及びキッズモデル・ボランティアスタッフのマネジメントを担当。

・経済産業省の事業再構築事業として人材分析システムCrewDocks®︎を開発。企業研修など精力的に活動中。