教室では野心が邪魔をする。
自分の心の中に巣食う野心に気づく
正直申し上げて、僕は「野心」の塊でした。
ちょっとでも、「すごい先生」だと自分を大きく見せようとしていました。
こんな知識もあるんだぞ。
こんなメソッドを知っているんだぞ。
そんな野心が心の中で蠢いていた若いころ。
研究授業に授業参観。
外から人に見られると、そんな野心が顔を出しました。
見栄えのする授業。
最先端の授業。
「どうだ?オレってすごいだろ?」
そんな想いが、授業に溢れ出ていました。
野心に溢れる授業ほど、うまくいかない
で、そういう授業はことごとく失敗しました。
なぜかって、理由は簡単。
子どもが置いてきぼりだから。
子どものことなんて見ていないから。
目の前の子どもの姿を見ないで、実践ありきの授業。
子どもが必要としているものではなく、僕自信が欲しているもので授業をする。
当然、失敗しますよね。
で、そんな授業のときほど、ショックは大きい。
自信満々で授業して、終わってみたらシュンとなる。
超かっこ悪い自分に気づいちゃう。
野心があると、いいことなんて一つもないんです。
ただ目の前の子どもの幸せのために教室に立つ
野心は教室の外に置いてこなきゃダメだなって、つくづく思います。
教室に入ったら、他の大人の評価なんてどうでもいいこと。
授業参観も研究授業も、大人の存在は案山子だと思えばいい。
僕らの評価は、子どもの表情なんです。
子どもたちが生き生きとしていればOKぐらいでちょうどいい。
あんまり難しく考え出すとね、全部つまんなくなるの。
野心は教室の外に捨てて、ただただ子どもの笑顔のために授業をする。
それだけで、教室はハッピーになる。
そして、参観している大人もハッピーになるんだと思う。
ハッピーな先生になるためのステップ
教室に入ったら、僕らの評価基準は子どもの笑顔