他者に寛容じゃない社会は、面白くも何ともない社会だと僕は思ってるんだけど、君はどうだい?
どうしたら人を笑顔にできるだろうか?
いつもそんなことを考えてきました。
どれだけ真面目な職員会議でも、発言する機会があれば、最後はちゃんと笑いを取りたい。
そんなことを考える人はいないのかもしれませんが。
昔、若い女性の先生から会議の後に呼び止められたんです。
「なんか、先生って、いつも面白いこと言おうとしてますよね」って。
会議という恐ろしく楽しくない時間をいかにして楽しくするか。
僕はそこ、すごく大事だと思ってきました。
「面白きこともなき世をおもしろく 住みなすものは心なりけり」
高杉晋作の辞世の句です。
僕の座右の銘と言ってもいい。
この世界を面白くしたい。
ただ、それだけ。
この社会を寛容にしたいのは、面白くしたいから。
先日、テレビ番組の中で、お笑い芸人のオードリー春日さんがペンギンの水槽に落ちたことが話題になっています。
正しいか、正しくないか。
その評価基準だけで見れば、正しくないのでしょう。
今や、何でもコンプライアンス。
熱湯に浸かることも、熱いおでんを食べさせることも、「いじめを助長する」コンテンツ。
池があって、そこにお笑い芸人がいて、飛び込む空気ができたら、飛び込んでしまうものでしょう。
だって、それをしなければ次のお仕事を失うわけです。
正しいか正しくないか、で言えば正しくないのでしょうが、お笑い芸人という仕事上、そこは飛び込むしかないわけで。
よってたかって、「お前は間違っている!」と叩く世界は、何とも窮屈です。
マスク警察なんて言葉がありました。
僕はマスクを着けたい人は着ければいいし、着けたくない人は着けなくてもいいと、ずっと思っています。
コロナが始まってから、ずっと変わらない。
マスクに限らず、それぞれがそれぞれの頭で考えて、よりよく生きていけばいい。
他者に対して不寛容な社会は息苦しいと思うのです。
春日さんを叩く必要はないんです。
「あれはよくなかったね」「うん、ごめんね」で終われたらハッピーなのにな、と思います。
他者に不寛容な社会になって、徹底的に叩く社会になって。
元TOKIOの山口達也さんが「株式会社 山口達也」を立ち上げたというネットニュースを見ました。
「株式会社 TOKIO」を連想させると、ネットではまた叩かれていました。
「反省していない」なんて声もありました。
そういう声が彼の社会復帰を妨げます。
一度過ちを犯した人を、いつまでもいつまでも許さない風潮。
息苦しくないのかな?と思います。
僕は息苦しいです。
先日、ミヒロさんの講演会でアンジャッシュの渡部さんのお話を伺いました。
彼もまた世間から叩かれる側でした。
犯罪を犯したわけでもない、夫婦間の問題と社会モラルの問題でした。
最近は講演活動もしているそうですが、そのニュースもまた叩かれていました。
叩いて喜んでいる人の心の砂漠に潤いが訪れるといいな、と思います。
いじめっ子を指導するとき、ただ叱るだけではダメなのは、そういう理由です。
人を傷つけて喜ぶ人の心を動かすには、まずその心の砂漠に潤いを与えなければなりません。
叱って罰を与えるような、力づくの指導は砂漠をさらに広げるだけなのです。
人を叩いて面白がれる心にはやはり、闇が広がっています。
人を叩いて生まれる笑顔はね、愛のない笑みなんだな。
本当の笑顔はさ、周りの人まで笑顔にさせてしまう、愛のエネルギーに溢れてるんだよ。
この世界を寛容にしたい。
それがきっと「面白き世の中」につながると信じているから。
このブログの記事の写真、素敵な笑顔だらけでしょ?
僕はずっとカメラを構えていたんだ。
みんなのつながりを生み出して、楽しい空間をつくれば、こんなに自然な笑顔が生まれる場所になる。
僕は講座中、それだけを意識している。
そんな僕のあり方をヒントにして、それぞれが自分の居場所をまたハッピーにしてくれたらいい。
「僕のした単純作業が、この世界を回り回って、まだ出会ったこともない人の笑い声を作ってゆく」
『彩り』by Mr.Children
そうやって職場が、教室が、チームが、家庭が、こんな自然に笑顔が生まれる世界になったら、むちゃくちゃハッピーだと思うんだ。
さあ、こんな世界をともに創造する仲間をもっともっと増やしていこう。
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