君は「あいつ、性格悪いよな」って言うけれど、僕はそう思わないんだよね♪
「キャラクター(character)」という言葉があります。
ギリシャ語で「刻み込む」「刻み込むための道具」を意味する「karakter」を語源にしています。
あなたの素材は何ですか?
木材?アルミ?石?鉄?粘土?
はい、この素材となっているものが素質です。
持って生まれたものですから変えられません。
木材をアルミに変えることはできないし、石を鉄にはできません。
当たり前ですな。
素材は変えられません。
んで、その素材を躾や教育、環境などいろんなものがトンカントンカンとあなたの素材を削っていき、「あなた」を形作っていきます。
それがあなたのキャラクターです。
素材を削ってキャラクターになっているのです。
例えば双子ちゃんがいます。
同じD.N.A.をもち、同じ人に育てられ、同じ環境で暮らしています。
でも、この二人は異なる経験をしていきます。
ですから、同じ素材でもキャラクターは変わります。
ところで、性格って何でしょうか?
「あの人は性格が悪い」とか「あいつはいい奴だ」とか言ったりしますね。
僕らが性格の良し悪しを判断する基準は、「その人が繰り返す言葉と行動」です。
いつも暗い人は「性格が暗い人」と判断されますが、時折暗い人は「落ち込んでるのかな?」と思います。
それを性格だと判断させているのは、繰り返すからです。
いつも怒ってばかりの人は、怒りっぽい人だと思われます。
僕の知っている人にも怒ってばかりの人がいます。
面白いもので、怒りっぽい人というのは、感情をコントロールできず、許容範囲も狭いですから、度量の小さな人に見えてきます。
感情がコントロールできない人は、精神性が幼い人に見られがちです。
教育者である僕らは、「幼少期はどうだったのだろう?」「親子関係は健全だったのかな?」と考えてしまいます。
キャラクターは、これまでの人生の中で「素材を削り込んだ結果」ですから、そこに思いを馳せるのです。
「素材が悪いから」などとは思いません。
自分自身で素材のせいにするのも違います。
やはり、そこは後天的なものが大きい。
だからこそ、人生はいつだってやり直しができます。
それはまた、別の機会に書きましょう。
さてさて、国語の時間に、物語を読んで登場人物の性格を読み取ったりします。
それも同じです。
映画や漫画もいいですね。
のび太くんはちょっとズルくて臆病ですが、映画では勇敢で時にたくましくもあります。
孫悟空は能天気ですが、仲間思いの人間です。
このように、一つの物語、繰り返される言葉や行動によって、その人のキャラクターが周囲の人に印象付けられていきます。
僕は物事をハッキリ書きます。
ですから、読者には「物事をハッキリ言う人」という印象を与えます。
ちょっと怖い感じがするみたいです。
実際に会ってみると、あまりにも大人しいのでビックリされます。
紳士的で口数少なく非の打ち所がない素敵な男性ですww
で、講演会の前は誰も近づいてきません。
マイクを持つと優しく語りかけます。
あたたかく微笑みます。
すると、講演後はいろんな方が話しかけてきます。
これはどういうことなのでしょうか?
僕は二重人格なのでしょうか?ww
実は、僕らはいつも仮面を着けて生活をしています。
いろんな顔を持っているということです。
これを「ペルソナ」と言います。
ちなみに、使わないものを売るのが「メルカリ」です。
全然、違います。
ペルソナはあなたがこの社会に適応するために身につけてきた「他人に見せるための顔」です。
家庭では親らしく、会社では上司らしく、部下らしく、妻の前では夫らしく、夫の前では妻らしく。
男らしさ、女らしさという言葉は古臭いかもしれませんが、それでも意中の異性の前では男らしく、女らしく振る舞いたくなるのが人の心というものです。
もちろんこの「らしさ」は人それぞれ違います。
違うのだけど、それぞれがTPOに合わせてペルソナを着け替えて暮らしているわけです。
それはそう、メイクや服装、アクセサリーのように。
無意識的に仮面を替えているのです。
学校ではしっかりしているのに、家庭ではダラしないなんてことはよくある話です。
舞台上でとても人間味あふれる素敵な話をしていたのに、いざ壇上から降りると、「人としてどうよ?」という言動をする講師もいます。
舞台上の発言は決して嘘なのではなく、その人は舞台上の仮面と、バックヤードの仮面を付け替えているだけなのです。
その仮面を見て、聴衆は「あの人は素晴らしい人だ」と感嘆し、バックヤードのスタッフは「あの人は裏表のある人だ」と判断します。
こうしてその人の性格は、「繰り返しの行動」を見る人によって、無数に作られていきます。
というわけで、「性格とは何か?」というお話でした。
まとめます。
持って生まれた素質変えられません。
その素質は生まれた後の経験で形作られていきます。
ですから、同じD.N.A.の人が同じ環境で育ってもキャラクターは変わります。
私たちは繰り返し同じ言葉を使い、同じ行動をすることがあります。
それを見た人が、「この人はこんな人だ」と判断します。
それを「性格」と呼びます。
人は相手や場面によって、言葉や行動を変化させます。
それは仮面のようなもので、ペルソナと呼びます。
時と場合に合わせて仮面を着け替えて暮らしています。
ですから、「この人はこんな人だ」という判断は、その人を取り巻く人の見方によって異なるのです。
一人の人間には無数の性格が存在している。
すると、だんだん「自分とは何か?」がわからなくなってきます。
はい、「自分探し」の始まりです。