「かけがえのない自分」を愛するということ
「かけがえのない自分」を愛するということ
我が家の末っ子は、吉村医院という岡崎市にある一風変わった病院で産まれました。
この病院は、ちょっと、いやかなり変わっているため、全国的にも有名な病院です。
初めて行ったときは、本当に驚きました。
お医者様も、看護師さんも一様に割烹着を身につけているのです。
病院の裏庭には、萱葺き屋根の古民家があり、そこで妊婦さんたちが薪割りをしたり、昔ながらのかまどで調理をしたりして、妊婦生活を楽しんでいました。
ですから、待合室に飯ごう炊さんのような匂いが漂ってくるのです。
ここには『お産の家』と呼ばれる日本家屋があります。
そこの和室の布団の上で、私と兄姉に見守られながら、 次男は実に穏やかに産まれてきました。
それは本当に静かで幻想的な命の誕生でした。
娘は、助産師さんの手の中で、母親の体から頭だけ顔を出した次男をなでながら「かわいい」と声をあげて喜んでいました。
まさに産まれる瞬間を、 その目に焼き付けていたのだと思います。
やはり、こういうとき男というものは弱いものですね。
妻の頭の上に腰をおろし、長男と私は所在なくうろたえておりました。
それでも、ヘソの緒のついた状態の次男を二人で抱っこし、命の産まれる瞬間を心の底から味わい尽くしました。
人の命をなんとも思わないような悲しい事件が後を絶たない昨今です。
命とは尊いものであるという、かくも当たり前のことを、今一度心に落としたいものです。
さて、テストが終わりました。
テストが終わると、テスト結果に一喜一憂し、優越感に浸ったり、劣等感にさいなまれたりする姿を目にします。
ですが、学業成績だけで人は測れるものではありません。
『あなた』という存在は、かけがえのない価値をもった存在です。