生きてこそ伝えられることがある
生きてこそ、生きてこそ、生きてこそ。
登山家の栗城史多さんのお話を聴くために、大阪へ行ってきました。
栗城さんは、162セン チの小さな体で「無酸素」「単独」でエベレストに挑んでいます。
先日のエベレスト挑戦で10本の指のうち9本 を失いました。
私は指を失った彼の手を握りながら、なんて澄んだ瞳をしているのだろうと思いました。
彼が注目されるのには理由があります。
それは、リュックの中に、カメラや通信機器などネット配信用の重い機材を背負って撮影を続けながら登っていることです。
彼のそのスタイルは、ときに言われなき批判や誹謗中傷の対象となります。
なぜ、彼は配信を続けるのでしょうか。
登頂すると、たくさんの「おめでとう」というメールが届くのだそうです。
あるとき、 テレビ局の依頼で頂上へのアタックを生中継しました。
しかし、彼は体調を崩し、登頂に失敗します。
すると、 ネット上には、「やっぱり栗城には無理だ」「お前に何ができる」といった誹謗中傷が殺到したそうです。
悔しく思った彼は3日の後、再びチャレンジします。
そして、見事に登頂を果たします。
すると、誹謗中傷していた人たちから、続々と「ありがとう」というメッセージが届いたそうです。
「おめでとう」ではなく「ありがと う」。
これをきっかけに、彼はネットでの配信をスタートしたのだそうです。
栗城さんがエベレストに挑戦するのは秋。
秋のエベレスト登頂は至難の業なのだとか。
ですから、ほとんどの登山家 は春を選びます。
歩く人のいない道は、雪をかき分け進まなければなりません。
彼は地上の3分の1しか酸素のない世界で、6度深呼吸をし、一歩進むのだそうです。
500メートルを実に10時間かけて進みます。
重たい配信機材を持たず、酸素を吸って安全な春に登れば、まずエベレストは制覇できる。
しかし、彼にとって大切なのはそこではないのだそうです。
人は成功か失敗か、結果で物事を判断しがちです。
しかし、成功や失敗を越えた先にある価値を見出していました。
冒険は時として個人のものになりがちです。
しかし、彼は「応援してくれる人とともに登っている」と言います。
生きることに迷っている人、苦しんでいる人と一緒に挑んでいます。
「栗城もがんばってるんだ。オレもがんばろう。そう思ってくれればいい。自分の登山から勇気をもらってくれる人がいるから登るんだ」そうです。
彼は、幾度もエベレストに挑み、幾度も失敗します。
そのたびにまた、批判の対象になります。
でも、死んだら伝えられなくなるから、彼は生きることを選びます。
頂上への執着に打ち勝ち、生きて帰ることを選びます。
生きていれば何度でも挑戦できるのです。
生きているからこそ、伝えられるのです。
生きているからこそ、喜べ るし悲しめる。
生きてこそ、人生を味わい尽くせるのです。
彼の澄んだ瞳は、どこまでも遠くを見つめているようでした。
久しぶりに「かっこいい男」に出会いました。