すべての子どもたちが安心して過ごせる教室にするために
先日、名古屋市内の中学生が、「いじめ」を苦に自殺をするということがありました。
このようなニュースを目にするたびに、胸が苦しくなります。
人間が数十人暮らしていれば、そこにはすれ違いやわだかまりは必ず起こります。
言ってみれば、「いじめ」 の種は、そこかしこに転がっています。
それは大人の世界でも同じです。
インターネット上の『炎上』のニュー スを見ますと、それを強く感じます。
自分と異なる意見に対して、執拗なまでに攻撃する姿は、世相を如実に表現しているように感じます。
他者に無関心かつ不寛容な世の中になりました。
だからこそ、これからの未来の担い手であるみなさんには、 真の意味での思いやり、寛容さをもってもらいたいと考えています。
「いじめ」の種、小さな「悪意」に触れたとき、それをきちんと摘んでいく。
そういうことのできる人が増えてくるといい。
「それって、おかしくない?」って、胸を張って言葉にしてほしいと思います。
朝会の中で、校長先生からご紹介いただいた小学校四年生の子の詩をもう一度読んでみてください。
この詩は、 新聞のコラムにも紹介されていました。
そのなかでご紹介されていた谷川俊太郎さんの詩も、合わせて読んでみてください。
『大丈夫』
大丈夫(だいじょうぶ)、大丈夫
ただの遊びだから大丈夫
バレなければ大丈夫
ふざけてるだけだから大丈夫…
やられている方は大丈夫じゃない
大丈夫に見えても 大丈夫じゃない
いじめに 大丈夫は一つも通ようしない。
『なくぞ』 谷川俊太郎
なくぞ
ぼくなくぞ いまはわらってたって いやなことがあったらすぐなくぞ ぼくがなけば かみなりなんかきこえなくなる ぼくがなけば にほんなんかなみだでしずむ...
苦しいときは、伝えてください。
日々、生活ノートや学級活動、教育相談を通して学級担任の先生は皆さんの気持ちを知ろうと努めています。
また、すべての先生は、学年を問わずすべての子どもたちを見守っています。
いじめのアンケートも行っています。
それでも、先生たちは、あなたの辛い気持ちに気づいてあげられないことがあるかもしれません。
だから、お願いがあります。
苦しいときは、涙でもいいからその気持ちを表してください。
そして、 周囲にいる子は苦しそうな子を見つけたら、教えてください。
これは、心からのお願いです。