周りの評価が気になるときは
無給でも子どもの前に立ちますか?
何のために子どもたちの前に立っていますか?
お金のため、ご飯を食べるために子どもたちの前に立つ、つまり食業(しょくぎょう)として子どもたちの前に立つのは、なんだか寂しいなって思うのです。
「目の前の子どもたちをハッピーにしたい」
僕はその一心で子どもたちの前に立っています。
たとえ校長先生から
「明日からあなたには給料は支払えません」
と言われても、僕はやはり、子どもたちの前に立っていたいのです。
綺麗事ではありません。
子どもたちの前に立つ。
そして、目の前の子どもたちをハッピーにすること。
これは僕のミッションだから。
たとえ、無給でも子どもたちの前に立ちたい。
心からそう思います。
ミッションがあれば、周囲の評価に苦しまなくなる
そして、もう一つ大切なことがあります。
自分のミッションに気がつくと、他人の評価など気にならなくなります。
「ちょっとでもいい先生に見られたいな」
「他の先生より優れているって思われたいな」
という人間ならだれもが内に秘めている感情です。
管理職は、同僚は、保護者は、そして児童生徒は、僕の仕事っぷりをどう評価するだろう?
そういうことを考えてしまう。
だって、人間だもの。
でもね、本当のミッションに気がつくと、他人の評価などどうでもよくなってきますよ。
だって、自分の魂がそう叫んでいるのです。
「ただ目の前の子どもたちをハッピーにしたい」
自分の魂にしたがって、志事に励む。
そこに他人の評価など、入り込む余地はありません。
自分で自分を褒めてはいけない
他人にどう思われようと、僕はただ「目の前の子どもたちをハッピーにしたい」。
自分のミッションに気がつけば、他人の評価は気にならなくなります。
けどね、「自分のミッション」に気がついている先生は、評価だって高いんです。
気がついたら周囲の先生や子どもたちからリスペクトされている。
これまで出会ってきた「ハッピーな先生たち」はみんな、そんな先生ばかりでした。
自分のことを「素晴らしい先生だ!」と言う人にロクな人はいない。
「まだまだの先生」は自分のことを「がんばってる!」と自己評価し、「輝いてる先生」は自分のことを「まだまだ」と言う。
なんだか人間って、おもしろいですよね。
「僕はがんばってるんです!」って言う先生をよ〜く観察してみてください。
「自分なんてまだまだですよ」って言う先生をよ〜く観察してみてください。
どちらが輝いて見えるでしょうか。。
だから、口癖から変えてみるのがいいんです。
「自分なんてまだまだですよ」ってね。
そんな謙虚さが、実は周囲には輝いて見えるんですよね。
ハッピーな先生になるためのステップ
自分のミッションに向かって、謙虚に働く。