子どもの心は繊細なんだよ
それが教育ですか?
ある朝、職員室に男の子がやってきました。
手には連絡帳が入った連絡袋が握られています。
「○○先生はいらっしゃいますか?」
それはとてもとても小さな声でした。
職員室の喧騒にかき消され、その声は届きません。
僕が腰を上げようとした瞬間、若い先生の声が飛びました。
「聞こえないでしょ!もっと大きな声を出しなさい!」
その声の大きさに、ビクッとしてしまいました。
大人ばかりの職員室。
その子の声の震えがすべてを物語っています。
彼は再び、声にならない声で口を動かしました。
「聞こえない!やり直しなさい!」
僕はまた胸が痛くなりました。
それでも彼は勇気を出して、声の限りを振り絞りました。
しかし次の瞬間、また僕の耳に信じられない言葉が飛び込んできました。
「○○先生は、お話し中だから廊下で待っていなさい!」
なんだよ、それ…。
呼んだって来てくれないことわかっててやり直しをさせる。
あんなにがんばったのにさ。
それが指導なの?
それが教育なの?
教育ってなんなのさ?
この子は、どんな気持ちになっただろう?
なにも言えねぇ!
そんなことじゃ大人を信頼しないよね。
そんなことじゃ先生を信頼しないよね。
でも、僕には何も言えませんでした。
悲しいかな、学校というのはそういうところです。
あまり、他の先生の指導法に口を出すことをしない文化があります。
間違ってるとはわかっていても。
もちろん、僕の学年の先生ならば、「それは違うよ」って言うのだけれど。
ホントかっこ悪いな、オレ。
言うべきか、言わないべきか、迷ったんです。
嫌われたくなかったのかな…。
僕の心はホントに弱い。
すると、養護教諭の先生がその子にすーっと寄っていき、声をかけました。
「連絡帳?○○先生に渡しておくね」
そう言うと彼女はニッコリ微笑みました。
惚れてまうやろーーっ‼︎
教育に携わる者にとって、もっとも大切なのは、どこまでも子どもの心に寄り添える愛なんです。
怒りからは何も生まれない。
なんでもかんでも叱ればいいってもんじゃない。
養護教諭の先生の優しさに、彼も、それから僕の弱い心も救われました。
30代になったら、背中を見せられる先生になろう
たぶん、あそこで僕がその先生に「それはダメだよ」って言っても、ただ恨まれて終わりだったと思うんです。
「うるさいな!関係ないでしょ!」
怒りを感じている人をたしなめても、攻撃されるだけなんですね。
だれもが「自分は100%正しい」と思っているわけですから。
そんなとき、養護教諭の先生は、す〜っと子どもに寄り添ったんです。
かっこいいなって思う。
その先生も、彼女の姿を見て、なにかを感じてくれればいいのになって思う。
まずは、背中を見せること。
これ、大事だな。
ハッピーな先生になるためのステップ
子どもの心に寄り添う、それを人は「愛」と呼ぶ