ただ目の前の子どもたちをハッピーにする
子どもたちに良いも悪いもないのだよ
これまでたくさんの、いわゆる不良と呼ばれる子たちと接してきました。
暴れちゃう子、バイク乗っちゃう子、タバコ吸っちゃう子、法に触れちゃう子。
でも、だれひとり、不良品ではありませんでした。
ちょっとだけ不器用で、愛され下手で。
だけど、心開いて話したらホントに楽しくて、いいやつで。
僕は彼ら彼女らのことが大好きでした。
これまでたくさんの、いわゆる不登校の子どもたちとも接してきました。
時間ができるたび、あの子の部屋に上がり込んで、ただ黙って『NARUTO』を読んだ日。
いなくなったあの子を探して、バイクで学区を走り回った日。
だれひとり、不良品ではありませんでした。
学校に行かないという選択をして、生き生きと暮らしている子どもたちもたくさんいました。
自閉症スペクトラムの子もADHDの子も肢体不自由の子も外国籍の子も、みんなみんな同じなんです。
そりゃ、他の子より手はかかるかもしれません。
だけどね、悪い子なんて一人もいませんでした。
だれ一人不良品じゃありませんでした。
学校って工場じゃないんだよ
危険なことを書きます。
ときおり、学校はたった1人の大人で7歳〜15歳までの多感な子どもたち40名弱を効率良く管理するシステムなのではないか、と思うことがあります。
教えやすくするため、教科ごとに分け、単元で分け、時間割で管理する。
品質を管理するために同一学年でカリキュラム通りに指導しテストを行う。
その生産ラインに乗れない子どもたちを不良と呼ぶ。
な〜んてことを感じることがあります。
子どもたちは悪くないし、不良じゃない。
なんだ、不良って⁉︎
そもそも、子どもたちを何だと思ってる?
子どもはだれ一人悪くないの。
そう思っている大人がいる。
そう感じている大人がいる。
ただそれだけ。
ときおり教師は教育者ではなく監督者になり、管理者となります
自分の都合の悪い子どもを指導と称して叱りつけます。
「こうでなければならない」に支配され、理不尽な指導を行います。
僕もそんな普通の教師でした。
理不尽に叱っていましたし、大声で怒鳴りつけて、それを指導力だと思い込んでいました。
だから、「ハッピーな先生」を応援したい。
ところがです!
中には、目の前の子どもたちのために一生懸命で、この子が幸せになるために何ができるだろうって、真剣に考えている先生がいます。
真の教育者です。
「子どもに愛され、保護者に応援される」、ハッピーな先生たちです。
一人ひとりと向き合って、一人ひとりに寄り添って。
そんな素敵な教育者に、僕は日本で、そして海外でたくさん出会うことができました。
そんな出会いが、僕を変えてくれました。
ですが、そういう先生ほど苦しんでいるんです。
変わった先生と言われるんです。
勝手なことをするなと言われるんです。
キラキラ輝いてたあの先生が心を病んで倒れたとき、僕の悲しみは絶頂を迎えました。
だから、そんな素敵な先生の背中を押したい。
そんな真の教育者である先生に、「それでいいんだよ、間違ってないよ」って伝えたくてブログやメルマガを発信しています。
崇高な理念も高等な教育技術もお届けできません。
でもね、一番大事なものだけお届けできるの。
それが、志。
目の前の子どもたちをハッピーにする。
ただ、それだけのために志事をする。
学校は工場じゃないよ。
人間と人間が向き合う場なの。
一人ひとりの子どもを輝かせる場なの。
いろんな子がいていいんだよ。
思い通りにいかないこともあるんだよ。
意図した通りにいかないことの方が多いんだよ。
いいんだよ♪
いいんだよ♪
だから、おもしろいんじゃない?
今日で300号。
ブレず、変わらず、お届けします。
ハッピーな先生になるためのステップ
いくら教育技術があっても、志のない者に子どもはついていかないぞ。