周囲にアドバイスを求めるときは
私以外私じゃないの♪
日々、学校で仕事をしていると、さまざまな質問が寄せられる。
生徒指導主事のときには、生徒指導上のトラブルについてたくさん質問されますし、学年主任のときには、学級経営や特別活動、道徳など、これまた質問は多岐に渡ります。
で、そんなとき、この質問は困ったなぁ〜という質問があります。それは…
「どうしましょう?」という丸投げです。
その質問の仕方は、自らの責任を放棄するような問いだからです。
その質問に対する答えは「僕ならこうするよ」というアドバイスしかできません。
そして、この手のアドバイスはほとんどの場合、役に立ちません。
それは、あなたは僕じゃないからです。
それまでに培った生徒や保護者との人間関係、年齢や立場など個人のパーソナリティがあるわけで、同じことはできないわけです。
そう。
私以外私じゃないの♫
当たり前だからね。
だから、困ったときに質問するなら、自分はどうしたいのか、自分は何ができるのか、これをちゃんと持っておくことが必要です。
苦しかった日々を思い出す
若いころ、保護者対応に苦しんだことがありました。
ある事情から、学級担任でありながら僕の意見など聞いてもらえる状況ではなく、管理職や生徒指導主事の指示に従い対応を進めなければなりませんでした。
毎日毎日、保護者対応に追われました。
電話と家庭訪問を繰り返す毎日。
しかし、一向に改善はされませんでした。
いや、日に日に追い込まれている自分に気がつきました。
終わりの見えない保護者対応に、やがて僕の心は蝕まれていきます。
ある日、地下鉄のホームにやってくる電車にフッと飛び込みたい衝動にかられました。
先輩たちがいろんなアドバイスをくれます。
それは優しさです。
だれ一人、悪意などありません。
けれど、僕の心には届きませんでした。
「言われた通りにやったのに、うまくいかないじゃないか」
僕は、そんなふうに考えていたのです。
あなたはどうしたいのか?
やがて、生徒指導主事になった僕は、問題が起きたときに必ず尋ねることがあります。
「で、先生はどうしたいの?」
その先生自身が悩んで導き出した答えを、全力で応援するのが自分の志事だと考えました。
そして、それはまた、その先生が自分の指導に責任をもつことにもつながります。
困難にぶち当たったとき、当事者意識をもつことが大切です。
自分の責任で動けていないと、うまくいかないときに心の置きどころがなくなってしまうからです。
「自分はこうしたいと思うけど、どうですか?」
こう尋ねられれば、アドバイスは変わります。
「それは無理だ」と言われる可能性もあるでしょう。
「もっとこうしたら?」と「ここに気をつけて」とアドバイスをもらえるでしょう。
どうしたいか。
これがない先生は、頭を使っていない先生です。
まず、どうしたいかを考える。
そのうえで、それがうまくいくようにアドバイスをもらう。
これが正解です。
ハッピーな先生になるためのステップ
「どうしましょう?」より「どうしたい?」が正解。