教育者に大切なものは知識や経験よりも愛

出会った先生によって、
子どもたちは生き生きと輝くこともあります。
もちろん、
暗く影を落とすこともあります。
子どもたちは、
先生を選べません。
だからこそ、
すべての先生は、
もっと素敵な先生にならなければならないと思うのです。
僕らはもっと学ばなければなりません。
以前、こんなことがありました。
ある先生がね、
こんなことを言うのです。
「あの子は全然私の説明を理解していないし、
指示が通らない。
だから、発達障害だと思う。
検査をするよう、
学級担任は保護者に伝えるべきだ」
強く強く訴えるのです。
僕はただただ恐ろしいと思いました。
あなたの説明を聞かないのは、
あなたの話がつまらないからだ。
あなたの指示が通らないのは、
あなたの伝え方が適切でないからだ。
そう!
変わるのは、あんただよ!
これまで、数千人以上の子どもたちと接してきました。
その中には、
医療機関でなんらかの診断を受けている子どもたちもたくさんいました。
僕は医者ではないので、
診断を下すことはできません。
ですが、
子どもたちをじっくりと眺めていれば、
生きることに苦しさを感じている子どもはわかります。
僕には、その先生が「発達障害だ」という子が生きることに苦しさを感じているとはとても思えませんでした。
担任の先生は、困った顔をしていました。
意見をしているのが大ベテランだけに、答えに窮していました。
こんなとき、なぜか話を振られる私です。
司会の先生から
「くればやし先生はどう思われますか?」
と問われたので答えておきました。
「あのさ、お前が困ってることなんてどうでもいいんだよ。
あんた、『発達障害』に関する本、一冊でも読んだことあるの?
それと、そういうレッテルで子どもを見るの、やめろな。
以上です」
僕は口の利き方を知りません。
ベテランだろうが、
校長だろうが、
そんなことはどうでもいいんだ。
目の前の子どもがすべてです。
無知とは、もはや凶器です。
僕は久々に怒りに震え、
つい厳しい言葉になってしまいました。
いいかげんな子どもの捉えで、
子どもを判断してよいのでしょうか。
発達検査を保護者にお願いするということの難しさをわかっているのでしょうか。
その言葉が、どれほど保護者を傷つけることをわかっているのでしょうか。
また、発達障害をもっている子にも、とても失礼な物言いです。
はっきり言って教育者失格です。
問われるのは、その在り方なの。
もうね、ベテランとか若手とか関係ない時代なんだよね。
寄り添えるかどうか。
知識や経験よりも、問われているのは愛の深さ。
それだけなんだ。
ハッピーな先生になるためのステップ
ただ目の前の子どもを
愛することに一生懸命になる。
