「学校を休むなんてズルい!」と言われたら
人は群れたい生き物です。
群れから外れようとする者を許しません。
とりわけのこの国は「和」の国。
調和を乱す者を許しません。
たくさんの「こうでなければならない」が存在します。
たくさんの「こうあるべき」が存在します。
そういった固定観念や価値観から抜け出す。
群れから抜け出す。
そんなとき、一斉にバッシングが始まります。
人間には、群れから抜け出す者を引きとめたり攻撃したりするところがあるようなのです。
学校を休むなんてズルい!
学校を休む。
すると、こんなことを口にする子がいます。
「学校を休むなんてズルい!」
そういう周囲の言葉に傷つけられた子がいました。
お母さんまで、周囲の大人に責められたりします。
あのね。
学校に行けないんじゃない。
学校に行かないのだ。
すべての行動を僕らは自分で選んでいるのです。
自分自身を取り巻く環境から、当然影響を受けています。
でもでも。
最後に自分の行動を選んでいるのは、自分なのです。
この理解はとっても大事。
だからこそ、子どもたちの行動を肯定的に捉え、受け入れ、認め、許し、愛することができるわけです。
でもね、そんな人ばかりじゃないですから。
「学校休むなんてズルい!」って、人の選択を攻撃してしまう子もいるのですね。
もうそれは仕方のないこと。
だって言いたいんだもん。
攻撃したいんだもん。
変えられるのは自分だけ。
あなたを攻撃したい「その子」を変えることはできません。
でも、「学校に行かないなんてズルい!」という言葉、よくよく考えてみてください。
そもそも「ズルい!」って言ってる子は、「学校は辛い場所」という認識をちゃんとしているのです。
「学校は楽しい場所だから、おいでよ」ではないのです。
「学校は辛い場所なのに、お前だけ休んでズルい」なのです。
「できれば僕も行きたくないよ!」と。
だから、ズルいわけでしょ?
それ、おもしろいなぁって思うわけです。
そして、その「ズルい」と言う子は、行きたくない場所に「行かなければならない」から行っているのです。
それを選んでいるのもまた、その子自身なのですね。
なんだか、気の毒ですよね。
「学校休むなんてズルい」と言う子は、実は気の毒なんです。
「学校休むなんてズルい」と言われてモヤモヤしたあなたへ。
いいんだよ。
あなたはあなたで、あの子はあの子。
一緒じゃなくていいんだもん。
あなたは、そういう生き方を選んだだけ。
ズルくなんかない。
子育てに迷ったときに出逢いたい100の言葉
行動は、ぜんぶ自分で選んでるんだよ。