発達検査をお願いするとき
「ウチの子、そんな子じゃありません!」
そう言われることがあります。
子どもが生きづらさを感じているときだけ、
僕は「発達検査」を提案します。
先生自身が困っているから
「発達検査」を提案する人もいます。
いやいや、違うって。
お前が困ってるのなんか、どうだっていいのよ。
この子が困ってるから、
救いの手を差し伸べるの。
ここ、間違っちゃダメなんです。
子どもが苦しんでいる。
だから、
それを救いたい!
それが行動の原動力になるわけです。
すべては「愛」から始まります。
でね、
まあ残念ながら、
うまくいかないことの方が多いです。
「ウチの子は、そんな子じゃありません」
とよく言われます。
行動に顕著な姿が表れていて、
生きづらさを感じている子。
集団の中で、
うまく表現していけない子。
それは、その子のある一部分。
そこに寄り添いたいなって思うんです。
なんだかね、
悲しいのは「そんな子」って言葉です。
「そんな子」って、何ですか?
発達障害のある子は、
「そんな子」ではないです。
みんなと同じです。
ある一面で、
得意ではないことがあるという、
ただそれだけです。
そして、
その特徴を理解し、
必要な手助けをしてあげれば、
問題は問題ではなくなります。
そして、
そういうことは
まず家庭が理解してあげることが
はじめの一歩なんです。
でもね、
「ウチの子は違います!」
そう言われてしまうと、
それ以上は話を進めようがありません。
「今、この子は学校でこんなことに苦しんでいます」
など具体例を示します。
そのうえで、家庭での様子を尋ねます。
やはり、顕著な事例が出てきます。
それで、僕は持ちうる最大限の語彙で、
「この子のある一面であるということ」
「それによって生きづらさを感じていること」
「それは人より劣っているということでは
ないということ」
「子育ての問題ではないということ」
「必要な支援をしてあげれば、
この生きづらさは和らぐこと」
「専門家の知恵を借りることで
子どもの理解が進むこと」
とにかく丁寧に丁寧に説明をします。
でもね、
お母さん自身が満たされていないと、
その先にはなかなか進めないんですよね。
「先生に発達障害を疑われた!」
みたいに言われる。
まあ正直心が折れそうになります。
この子の生きづらさに寄り添いたい。
ただ、それだけ。
だれも傷つけようとはしていないんだけどな。
それでも僕は。
「子ども」が生きづらさを感じていたら、
きちんと伝えます。
そこから逃げません。
発達検査は、
児童相談所や児童精神科、
心療内科などで受付けてもらえます。
その場所自体に抵抗感を覚える方も見えます。
ですから、
それはもう丁寧に丁寧にご説明していきます。
そこから、逃げてはいけません。
そこから逃げるヤツは、
教育者じゃないんです。
発達障害って、
子どもを理解することなんです。
とにかく理解することなんです。
これね、
発達障害に限らないの。
とにかく「この子」を理解する。
それがすべての始まりなんですよ。
子育てに迷ったときに出逢いたい100の言葉
この子の「ありのまま」と向き合う勇気が大人には必要です。