不完全な自分をまるごと愛そう♡

欠点もふくめて自分だよ
良いところも悪いところも含めて自分だと思う。
欠点は「欠かしてはいけない点」なんだよな。
ヒーローものの映画は、
悪役がいて初めて成立する。
悪代官の出てこない『水戸黄門』は、
『鶴瓶の家族に乾杯』と同じだ。
ただの旅番組だ。
それも含めて自分だよ。
ダメな自分を受け入れたとき、
はじめて本当の自分を愛することができるのだと思う。
書くことは向き合うこと。
1000日も書き続ければ、
イヤというほど向き合わされる。
「こんなこと書いたら炎上するかな」
「こんなこと書いたら、メルマガ解除が増えるかな」
邪な僕を、僕はイヤというほど眺めてきた。
卑しい自分を、僕ほど知っている人間はいない。
そんな自分をさらけ出すことにした。
卑しくてもOKだ。
だって、人間だもの。
そんな自分を受け入れ、認め、許し、愛する。
コトダマメソッド『まなゆい』の言葉を何度も何度もつぶやいてみる。
1000日続けたことはすごいことかもしれない。
それも僕だ。
だけど、卑しい気持ちで書いた日もある。
それも僕だ。
良いところも悪いところも含めて自分だと思う。
それをさらけ出せるほど受け入れてしまうと、とても楽になる。
発達障害は悪いことなのか?
学校現場では、発達に課題を抱えた子どもたちとたくさん出会ってきた。
年度始めの保護者懇談会。
「ウチの子には発達障害があるんです」と全体に打ち明けてくれるお母さんがいた。
それはとても勇気のいることだと思う。
だが、そうやって親がその子のことを全面的に受け入れていると、不思議なことが起こる。
集団生活の中で問題が起こらないのだ。
これは僕の体感だから、何の根拠もない。
だけど、確かに感じる。
発達に偏りがあることを完全に受け入れられた子どもは生きづらくならない。
これは本当にそう思っている。
一方、なかなか級友となじめず、集団生活を送ることが困難な子もいる。
こちらから見ていても、「生きづらいだろうな」と感じるような子だ。
そんな実情をお母さんに話す。
すると、お母さんも苦しい胸の内を明かしてくれる。
やはり、家庭でも大変なようだ。
そこでお母さんに発達検査を提案する。
もちろん、受ける受けないは自由だ。
僕らには、何の強制力もない。
忘れてほしくないのは、発達検査によって、発達障害のレッテルを貼りたいわけではないということ。
これはよく勘違いされることだ。
ただ、検査によって、その子が困難に感じていることを知りたいのだ。
それがわかれば、僕らが支援できることが変わる。
だが、問題は発達検査をしてくれる場所が、児童相談所や心療内科だったりすることだ。
けっこうここにハードルがある。
病院を紹介した瞬間、逆上されたこともあった。
「ウチの子は、そんな子じゃありません!」
そんなふうに言われたこともあった。
そんな子…。
いろんな課題をもった子がいる。
いろんな障害を抱えた子がいる。
いろんな病を抱えた子がいる。
だが、忘れないでほしい。
「そんな子」と呼ばれるような子は、ひとりもいないのだよ。
みんな、一人ひとり、大切な子どもたちだ。
だから、その言葉を聞くと、胸が苦しくなる。
だが、お母さんの気持ちだって、わからなくもない。
だから、教師は苦しむのだ。
お母さんも苦しむのだ。
なにより子どもが苦しむのだ。
ありのままを受け入れられないと、だれもが苦しむことになるのだよ。
良いところも悪いところも含めて自分だと思う。
良いところも悪いところも含めて「この子」なんだと思う。
完璧な人間なんていない。
僕もあなたも不完全な生き物なのだ。
ただ、この子の不完全さは「生きづらさ」を感じ、僕らの不完全さはごまかしがきくに過ぎない。
まるごと全部、受け入れ、認め、ゆるし、愛せたらいいのにな。
子どもとつながる問いかけの魔法
あなたの不完全なところはどこですか?
