1000日書き続けて気づいた、カッコ悪い僕の話


1000回やると、新しい自分に出会えるよ

1000日、何かを続けたことがありますか?

今日、僕のブログは1000号を迎えました。

 

「たくちゃん、1000回やるとね、生まれ変わるよ。

やることはなんでもいいんだけど、

心を込めて1000回やると、新しい自分に出会えるよ」

 

その当時、ひすいさんはメルマガを毎日配信されていて、その数は1000本を超えていました。

その話を聞いて僕は思わずこう言いました。

 

「ひすいさん、僕も1000回やってみます。

手紙を書きためてきた、多くの人から教えていただいた人生をよくするコツを、メルマガにして配信してみます!」

 

これが、メルマガをはじめるきっかけになりました。

 

野澤卓央 著

『一生を変える小さなコツ』

(かんき出版)

 

僕はこの一節を読んで、ブログを書き続けることを決意しました。

上海で出会った野澤卓央さん。

卓ちゃんのブログはもうすぐ4000号です。

1000号なんて霞んじゃう数字です。

 

 

彼がいなければ、僕は今日まで書き続けることは不可能でした。

「卓ちゃんが書き続けているのにやめてなるものか」って思いが、僕の中にはありました。

 

 

ちなみに、ひすいさんはドイツの文豪ゲーテが一人の女性に1800通のラブレターを書いたことを知り、メルマガをスタートします。

メルマガは読者へのラブレター。

ラブレターの数で、ゲーテを越えようとしたのだそうです。

 

 

ゲーテさん→ひすいさん→卓ちゃん→くれちゃん(笑)

1000回続けるバトンを勝手に受け継ぎました。

 

 

時を同じくして上海。

僕はマツダミヒロさんとも出会いました。

いつかミヒロのように生きてみたい。

作家として、講演家として、世界を旅する。

超かっこいい!と思いました。

 

「人生を旅するように生きる」

 

手始めにミヒロさんのオンライン講座を受講。

「フェイスブックページを作るといいよ」の言葉を信じ、帰国後すぐにフェイスブックページを作りました。

でもね、書くまでに1ヶ月もかかりました。

 

 

記事を作ってから1ヶ月。

僕は投稿できずにいました。

 

「こんな自分が教育のことを語っていいのだろうか」

 

何度も何度も自問自答しました。

悩んだ悩んで悩み抜き、ようやく初投稿。

初めての投稿はリーチ14名。

「いいね」の数、2つ(妻と僕)

 

 

あんなに緊張したのに、答えはシンプルでした。

「誰も読んでね〜よ!」だったのです(爆笑)

 

 

それから毎日毎日書き続けました。

途中、絶海の孤島ニウエを旅し、完全にインターネットから隔絶したときをのぞき、僕は毎日書き続けました。

 

 

最初は、「学校の先生」に向けて書いていました。

でも、リアクションはゼロ。

需要なし。

 

 

それでも、僕は書き続けました。

読まれていないものを書き続けるのは、けっこう心が折れます。

でも、僕は1000号書くと決めていました。

だから、書き続けることができました。

 

 

修学旅行の引率中も、海外旅行中も、二日酔いの朝も、友人の死に直面した夜も。

僕は休まず、書き続けました。

 

 

 

やがて、少しずつリアクションをいただけるようになりました。

それは、学校に失望したお母さんたちからのメッセージでした。

 

「こんな先生もいるんですね」

 

そんな言葉をたくさんいただきました。

 

「メルマガを読んで、元気をもらってます」

「メルマガを読んで、子どもとの関係が変わりました」

 

そう言っていただけるようになりました。

 

 

書くことを通して、人を幸せにしている。

そんな実感がありました。

その言葉は、書き続ける原動力となりました。

 

 

メルマガもブログも僕がお金を払って配信しています。

完全なる赤字です(笑)

でも、「書くこと」を通して、僕はたくさんの「幸せな気持ち」をいただくことができました。

 

 

そして、僕が子どもとのつながりを作るために大切にしてきたことを講座化。

『子どもとつながる問いかけの魔法』というタイトルで、全国いろんなところで講座をさせていただくことにつながりました。

 

 

出版したい

1000日書き続けたら、出版の話とか来るのかなぁと思っていました。

しかし、残念ながら、そんな話はカケラも来ませんでした。

せめて、「1000万円払ったら出版させてあげます」ぐらいの悪徳自費出版会社からのオファーぐらいあってもいいものの、一切ありません(笑)

 

 

出版セミナーに通うため、毎週東京に通ったりもしました。

出版プロデューサーにけちょんけちょんにされて、夜行バスでトンボ帰りして、そのまま出勤したことも今では良い思い出です。

 

 

田宮陽子ちゃんからも「作家セミナーでは作家になれないよ」と言っていただいたのに。

そのあとも、高橋歩さんと滝本洋平さんのフリーライフスクールという出版セミナーに参加してみたり。

けっこうしつこく動いてみたりもしました。

 

 

そんな中、周囲の人がどんどん出版が決まっていきます。

 

「本を書く気はなかったんだけど、たまたま僕の本を出したいって言われてね」

「ブログが出版社の目に止まって、突然出版が決まりました」

 

そんな言葉を聞くたびに、僕は悲しい気持ちになりました。

「よかったね」って一緒に喜んであげられない超かっこ悪い僕がいました。

毎日書き続けたら出版できると思ったのに!

そんな心の人間に出版の話など来るはずもありません。

でも、悲しいかな、僕の心はそんなふうにかきむしられていきます。

 

 

極めつきは沖縄で開催された『しつもんカンファレンス』。

会場では、出版した質問仲間の著書がしつこいぐらいに放送で紹介されます。

「うらやましいなぁ」という気持ち。

「なんで僕は出版できないんだろう」という気持ち。

そして、そんな中で僕は「お金の話」をすることになっていました。

 

 

成功している人がたくさんいる中で、何も成し遂げていない自分がお金の話をするのか…。

胃が痛くなり、『しつもんカンファレンス』の間、僕は何も食べられなくなってしまったのです。

 

 

むちゃくちゃ小さな人間なんです。

超かっこ悪いよね。

でも、僕はそのぐらい出版したかったのです。

 

 

ひすいさんとミヒロさんの言葉 

ひすいこたろうさんにお会いしたときのこと。

「ひすいさん、どうしたらひすいさんみたいなベストセラー作家になれますか?」

 

僕は作家ですらないのに、ベストセラー作家になる方法を尋ねたんです。

アホです。

アホすぎます。

 

 

でも、ひすいさんは優しく教えてくださいました。

 

 

「本音を書くことだよ。本音は本当の音って書くでしょ。

本当の音を響かせるとね、必ず共鳴してくれる人が多くなるよ。

共鳴する人が多くなるから、ベストセラーになるんだよね」

 

 

 

それからは、できるだけ本音で書き綴るようにしました。

でも、まだ、僕は「学校の先生」に対する遠慮があります。

はい、遠慮です。

嫌われたくないですから(笑)

 

 

ミヒロさんにも、尋ねました。

 

「どうしたら、本が出せますか?」

 

ミヒロさんは一言。

 

「原稿を書くことだね」

 

あ〜、そうっすよね。

自分、原稿ないっス。

僕はなんとなく残念な気持ちになりました。

「なんかいい話、ないっすか?」的な気持ちがありました。

 

 

ええ、もう完全にダメ人間です。

ミヒロさんに近づけば、出版の話が転がり込んで来るんじゃないか精神です(笑)

 

 

でも、そのあと、ミヒロさんはこんな言葉を付け加えられました。

 

「くれちゃんはいつも外ばかり見てるねぇ…」

 

僕はハッとさせられました。

僕は自分が有名になるために、発信力をつけるために、本を書きたいと思っていたのです。

そんな僕の「奪うエネルギー」を見透かしたように、ミヒロさんはそうつぶやきました。

 

 

どうやら、僕にはまだ、作家のステージは遠いようです。

 

 

 

今日で1000号です。

もう書くのをやめることにしました。

 

 

えっ⁉

って思っていただいた皆様、ありがとうございます。

 

 

僕は1000号書き続けることを目標にがんばってきました。

どうしても筆が進まぬ日もありました。

それでも「書かねば」とパソコンの前に座りました。

 

 

そして、ブログのPV数を上げようとか、メルマガ読者を増やそうとか、あれこれ工夫をしたこともありました。

 

でも、僕はもうやめることに決めました。

 

 

船越耕太くんと小玉泰子さんに出会って

1000号を迎える直前、船越耕太くんが我が家に泊まりに来てくれました。

僕より6歳ほど若い耕太くん。

でも、話をすればするほど、僕は彼の魅力に引き込まれていきました。

 

 

自分を生きる。

いつだって、お父さんと比較されてしまう耕太くん。

耕太くんの話を聞きたいわけではなく、重ね煮の話を聞きたいと言う主催者もいるほどに。

 

 

講演家として多忙な毎日を過ごす日々。

でも、彼は心に引っかかるもがあったのですね。

それで、そんな生活を手放してしまいます。

 

 

岡山の実家に戻り、畑仕事に精を出します。

梅干しやたくあんを作り、うどんを作ります。

そして、トイレを磨きます。

 

 

自分の原点に帰り、自分の人生を生き始めます。

船越康弘の息子ではなく、船越耕太として生きる。

 

 

僕はそんな彼に一目惚れしました。

彼がトイレ掃除をする姿がまぶしくて、涙が出そうでした。

 

 

僕は何をやってんだろう?

なんだか、どんどん自分がちっぽけな人間に見えてきました。

 

 

 

そして、翌日。

今度はコトダマメソッド『まなゆい』の生みの親、小玉泰子さん(たまちゃん)とトークライブを開催しました。

ワクワクで生きているたまちゃん。

 

 

『まなゆい』がどんどん広がっていく理由がよくわかりました。

直感を信じ、揺るぎなく、自分を生きる。

 

 

そう。

お二人は自分を生きています。

 

 

僕はミヒロさんのようになりたいと思いました。

でも、当たり前のことですが、僕はミヒロさんにはなれません。

僕は僕です。

そのことが、まだまだわかっていなかったような気がします。

 

 

今日で1000号。

僕は僕自身が設定した鎖を引きちぎり、自分を生きる決意をしました。

 

 

「こうあるべき」「こうでなければならない」を手放そう。

そんなことを毎日書いているクセに、僕は思いっきり思考の中で生きているんです。

 

 

毎日ブログを書くべき。

毎日メルマガを配信しなければならない。

 

 

僕はそういう思考の中で1000日間過ごしてきたように感じます。

だから、やめることにしました。

 

 

まず、ブログを毎日更新するのをやめます。

書きたいことが沸いてきたときだけ書きます。

 

 

メルマガは毎日配信します。

そして、メルマガには僕が書きたいことを書きたいように書きます。

読者が減っても構いません。

僕は書きたいことを書きます。

 

 

もう「書かねば」という気持ちで書くのはやめにしようと思います。

 

読んでくれる人がいて、その人が幸せな気持ちになれるように、それだけを心において、これからも書き続けます。

 

 

そして、いつか出版の話が来るといいなぁ。

その日のために、心に湧いてきた言葉をブログに書き溜めていこうと思います。

 

 

 

くればやし ひろあき

・株式会社ミナクル組織研究所 代表取締役

・フォロワー10万人の教育系TikTokクリエイター「くれちゃん先生」として人間関係や教育についての動画を配信

・1978年、愛知県生まれ。16年間公立中学校の教員として3,000人以上の子どもたちを指導。名古屋市内で最も荒れた中学校で生徒指導の責任者を務め、その後、文部科学省から上海に派遣され、当時世界最大の日本人学校であった上海日本人学校の生徒指導部長を務める。

・2018年~2019年 100人のボランティアスタッフをマネジメントして『子育て万博』を主催。

・2021年~2024年 パリコレクションのキッズ部門を日本に誘致して開催された『Japan Kids Fashion Week』において、全体計画及びキッズモデル・ボランティアスタッフのマネジメントを担当。

・経済産業省の事業再構築事業として人材分析システムCrewDocks®︎を開発。企業研修など精力的に活動中。