「ご褒美」はいらないよ♪
「子どもが勉強する魔法の方法」があるらしい…
この前、こんな記事を見つけたの。
「子どもが勉強する魔法の方法」があるんだって。
で、それはどんな方法かと言うと…。
テストで何点取れたら、1万円。
成績が上がるごとに500円。
成績が下がったら1ヶ月ゲーム禁止。
そうやって、アメとムチを使い分けるといいですよって記事。
でも、それって本当かな…?
よくね、「成績が下がったから、携帯電話を没収されました」なんて話を聞く。
子どもたち、携帯電話を取り返すために勉強するの。
それでも、勉強するならいいじゃん!って方もいるとは思うけど。
それって、本物の力が身につくんだろうかって思っちゃう。
ご褒美をあげるようなやり方はね、本物の力はつかないんだよね。
本当に力のある子って、学ぶことにワクワクしている。
「愛の選択」で勉強しているの。
一方、「恐れの選択」で勉強してる子は、ルーティーンをこなしてるだけだから力が伸びていかない。
アメとムチはね、学ぶことそのものを『罰ゲーム』にしてしまうんだ。
「やらなければならない」
そういう感情で学ぶことになるんです。
もちろん、漢字を100個書くとかね、計算を100問解くとかね、ただ数をこなせばいいってなら別。
ただの訓練ならね。
でも、学ぶことってそういうものじゃないじゃない?
自分の内側から「学びたい!」って思いがふつふつと湧いてくる。
そういうエネルギーが学びには必要だと思う。
それがないと、頭に入らない。
それがないと、身につかない。
そういうものだと、僕は思う。
目の前にニンジンをぶら下げて走らせるようなのはね、やめた方がいいな。
「褒める」より「認める」がいい
そういう意味では、「褒める」より「認める」がいい。
「褒める」ってね、どうしても結果にフォーカスしてしまうでしょ?
結果にフォーカスするとね、プレッシャーになるよね。
結果って出し続けないといけないから。
だから、「認める」がいいの。
「認める」ってのはね、プロセスにフォーカスするの。
結果が出たことが素晴らしいんじゃないの。
そこに向かえたことそのものが素晴らしいの。
結果を褒めるんじゃなくて、存在そのものを認める感じかな。
そうやって存在を認めながら、内側を満たしていくの。
ご褒美をあげるのは、外側を満たすこと。
アメとムチはね、外側を満たすこと。
でもね、大切なのは内側なんだな。
存在を認めるから、内側は満たされるんだよ。
違いはカンタン!
外側を満たされたときは、そのときだけうれしいの。
だから、またがんばろうとする。
内側を満たされたときは、じんわりずーっとうれしいの。
だから、またがんばろうとする。
同じように「がんばる」んだよ。
でもね、その「在り方」は大きく違うの。
ハッピーな子どもを育てる大人になるためのしつもん
どのようにして、子どもの内側を満たしますか?