勉強が嫌いになる装置は何か
学校の定期テストに小テスト。
学習塾や業者の模擬試験。
そんなものが「自分の出来なさ」の確認作業になっているのかもしれません。
だとしたらさ、「学ぶこと」が辛いことになってしまうのも無理ないなって思うのです。
子供たちの生活の中心には勉強があり、その時間が苦痛を生み出しているのだとしたら、それは悲しいことです。
そもそも学力って積み重ね。
って誰もが思ってる。
確かにそうだ!
コツコツ積み重ねて、力をつけていくもの。
そうやって考えられている。
でもね、僕は「ちょっと違うんじゃないかな」って思っているわけ。
学習成績って負債の積み重ねだったりする。
前の時間の学習内容が理解できないままに、次の学習内容に進んでいく。
それは借金のようなもの。
足し算がわからない子は、わからないまま引き算を習う。
引き算を理解する前にかけ算が始まる。
九九を覚えてないのに、割り算の授業に入る。
成績の借金はね、複利で増えてくんだから大変。
勉強が苦手な子は、そういう借金問題がいろんな教科でふくらんでいくわけ。
ア◯ムでもプロ◯スでも借りてる感じだな。
でさ、大人は「努力しなさい」と言うじゃない。
結果だけを見て、「がんばってる、がんばってない」の判断をする人は多いんだ。
すでに勉強が苦手な子はさ、返せない借金をひたすら返しているようなもの。
で、テストのたびに借金の残高が増えてることに気づく。
カードローンに追われている感じ。
給料日のたびに、借金が増えてく感じね。
働けど働けど、利子が多すぎて、貯金が減っていく…みたいな。
そりゃ勤労意欲、
わかないよね?
そういう経験が子供たちから学ぶことの楽しさを奪っていくわけさ。
本来人間には知的好奇心ってものがあって、知りたい生き物なの。
わからないことがわかるようになるのって楽しい。
それなのに、子どもたちの多くは「勉強が嫌いだ」と言う。
「やらなければならないから」という恐れの選択で勉強している子が多くいる。
なんで勉強が嫌いなのだろう?
「学ぶこと」って自己完結するもんだと思うの。
自分の「知りたい」を満たすだけだから。
ところが、高い評価を得ようとする。
周囲の大人がそれを要求する。
すると、自己完結しない学びがスタートする。
まあ、それは「学び」ではないんだけど。
そうそう!
「学び」は「無知」を自覚し、「知りたい」を満たすことでしょ?
ところが
「できる」「できない」
「正解」「不正解」
「覚えてる」「覚えてない」
という
「白」か「黒」かって話にしちゃってるわけ。
だから、おもしろくないんだよな。
「勉強しなさい」って言わなきゃ勉強しない?
そりゃそうさ。
嫌いなんだもん。
やりたくないんだもん。
でも間違えないで。
人間は学びたい生き物なの。
そこに勉強のヒントがあると思うよ。
子育てに迷ったときに出逢いたい100の言葉
何かを嫌いになりたいなら、
評価のためにそれをやるといい。