いじめの指導に悩んでいるあなたへ《前編》
学校は社会の縮図
先日、いじめについてのご相談をいただきました。
思うところを言葉にしてみました。
いじめの問題。
何度出会っても悩みます。
本当に悩みます。
迷います。
失敗は許されません。
考えて考えて考え抜いて、事に当たります。
相談もするし、これまでの経験に照らし合わせます。
それでも、いじめの指導って、カンタンじゃありません。
今、世の中は集団の意思に反する者を徹底的に叩く空気感があります。
徹底的に排除する空気感があります。
学校は社会の縮図です。
世の中で起きていることが、そのまま子どもたちの世界でも起きている。
そう考えています。
「◯◯ハラ」なんてのも、換言すれば「いじめ」だと思う。
DVだって、「いじめ」だと思う。
根っこは一緒。
子どもたち、LINEでのトラブルが多いです。
じゃあ、そういうトラブルって大人の世界じゃないのかって問われたら、いかがでしょうか。
案外大人の世界にだって、そんなトラブルは山ほどあるのです。
あるお母さんに相談されたんです。
「大人だって一緒ですよ。
ママ友のグループに入らざるを得ない。
勝手に抜けられないし、返事をしないわけにもいかない。
上手に付き合わなきゃいけないんです。
大人でも大変なんだから、子どもたちはもっと大変ですよね」
本当にそう思います。
集団で暮らしていれば…
人間関係の悩み。
大人だって、子どもだって一つや二つ、大なり小なり抱えています。
集団で暮らしていれば、すれ違ったりぶつかったりなんて、当たり前に起こるものだから。
自分と異なる考え。
自分と異なる行動。
そういうものを「違い」と捉えるのか。
それとも「間違い」と捉えるのか。
「そんな考えはおかしい!」
「あんなものはダメだ!」
そんなジャッジの言葉。
大人はいっぱい使います。
だからでしょうか。
子どもたちも使います。
みんな違ってみんないい。
この言葉を好きな先生、好きな子どもを意外と多い。
でもね、リアルな世界じゃそれ、カンタンじゃないんだ。
みんな同じじゃなきゃダメ!
そんなことの方が多い。
みんなと同じにできない子だっているさ
教室にはいろんな子がいます。
みんな違ってみんないい。
そんなふうにやりたいけれど。
現実には、そういうわけにはいきません。
みんなと同じじゃなきゃダメ!
そんな空気があります。
だから、みんなと同じにできない子はターゲットになりやすい。
でもね、その子はなんともできないの。
「みんなと同じ」ができない子だっているさ。
いていいのさ。
それで、学校の先生たちは精一杯フォローする。
「いじめが起こってもいい」なんて考えてる先生はいないから。
見えないところで。
陰ひなたで、動いてるの。
きっとそう。
見えないし、見せないけれど。
でもね…
「なんであの子だけいいの?」
「そんなのズルいじゃん!」
「わがままだ!」
「自分勝手だ!」
そんな言葉を耳にすること、よくあります。
みんな違ってみんないいという空気感をつくってないと、そうなるの。
つくづくそう思う。
そういう意味じゃね、個に応じてあげたいけれど、それができる先生はかなり限られています。
「みんな違ってみんないい」
それってカンタンじゃないの。
もしも「いじめ」が起こったら
まず、もって学級経営はね、教室にどんな空気を育てるか。
教室にどんな文化を育てるか。
これ、最重要だと思うんです。
「いじめ」が起きない土壌。
「いじめの種」を子どもたち自身で浄化していける空気感。
「そんなのおかしいよ!」って言える集団づくり。
そういうことを時間をかけてやっていく。
道徳の授業で。
朝や帰りの短学活の中で。
集団づくりに、学校行事で。
学級通信で。
そうね。
あらゆる場面で、あらゆるツールで。
それらを培っていくの。
そうやって、根っこを育てる指導を心がける。
でね、それでも「いじめ」は起こるから。
もしも「いじめ」が起こったら。
これはもう、覚悟を決めなきゃいけない。
最後は覚悟。
本当に覚悟。
「いじめ」がひとたび起こったらね、本当に覚悟が問われるの。
ずっと生徒指導を担当してきました。
いろんな指導をしました。
いろんな修羅場をくぐり抜けてきました。
でも、やっぱり「いじめの指導」って一番覚悟が問われる指導だなって思います。
それについては、次号で書きますね。
ハッピーな子どもを育てる大人になるためのしつもん
どんな覚悟をもって、この問題と向き合いますか?