いじめの指導に悩んでいるあなたへ《後編》
どこにフォーカスするか。
人と人が暮らしていれば、「いじめの種」はどこかしこに転がっているんだよ。
そんな話を前号で書きました。
だからね、
「いじめ」が起こらないように、土壌を培う。
心を育む。
そういうことを丁寧に丁寧にやっていく。
それでも、40人の子どもたちがずっと同じ空間で暮らしてるんだ。
すれ違ったりぶつかったりは、起こるものなの。
でね、ここからが大事。
「いじめ」が起きたとき、加害者と被害者って部分にフォーカスしがち。
できるだけ早く解決したいから。
早く結果が欲しいから。
加害者と被害者にフォーカスしてしまう。
加害者がわからないとき。
「顔を伏せて、やった者は手を挙げなさい」
「紙に知っていることを書きなさい」
そんな指導になってしまう。
ほら、よくあるでしょ?
でもね、こういうやり方ってなかなかうまくいかない。
直接関わってない者は、自分には関係ないという顔をしてしまう。
そこに、集団の闇があるんだよ。
教室の闇から目を背けちゃいけない
被害者がかわいそうで、加害者が悪くて。
でも、被害者にも原因があるよね、なんて言ってさ。
まー、オレらには関係ないけど、ってね。
それが闇なんだよ。
学校は社会の縮図だから。
世の中が今、そうなりつつある。
無関心という名の闇。
教育者として目を向けたいのは、この闇の方なんです。
何を大切にしますか?
学校はね、集団から学ぶ場所。
教室で起きていることは、先生も含めた全員の課題なんだ。
今、教室で起きていることに、みんなで心を傾ける。
教室で起きていることに、無関心な子がいてはいけないんだよ。
「みんなはどんな教室で、この学級を閉じたい?」
「何年か先にこの学級を思い出したとき、どんなことを思い出すだろう?」
教室で、辛い思いをしてる子がいるんだ。
教室で、悲しい思いをしてる子がいるんだ。
それ、先生は悲しくて仕方ないんだ。
みんなはどう思うよ?
そうやって、集団の中で起きていることをみんなで考える。
起こっていることは、すべてが学びなの。
それが教育者だと思っている。
教室の管理者でも警察でもないんだよ。
目の前で起きていることから課題を見つけ、そこから学び、子どもたちを育てる。
それが志事。
闇に立ち向かうという真剣勝負
それはもう真剣勝負。
腹を括って事にあたる。
カッコなんてつけない。
本気で子どもたちと向き合う。
いじめの指導って、けっこうスレスレだったりする。
腹を括るって、本当に大事。
もちろん、加害者がどうでもいいなんて思ってないよ。
ちゃんと指導するし、謝罪もするよ。
被害者の子のフォローだって忘れない。
でもね、本当に大切にしたいのは、「在り方」を見失わないこと。
表面的な解決はね、犯人見つけて被害者に謝罪して、はい終わり。
それ、本質的な解決じゃないと思うんです。
それでOKだと思ってたら、次が起こるんです。
加害者が変わるか。
それともターゲットが変わるか。
それとも、闇に潜るか。
そうやって、次の「いじめ」が起こるんです。
だからね、そういう指導は表面的だと思う。
本質的な解決。
それはね、課題をみんなでを見つめること。
しっかり心を耕して、集団として「いじめを許さない!」って空気を育んでいく。
時間がかかるよ。
時間をかけて、空気を育むの。
それが大事!
その空気、ホントは大人の世界にも育まれたらいいなって思う。
ネットなんか見てたら、徹底的に叩くじゃない?
そういう姿を子どもたちは見てるんだ。
大人の世界を見てるんだ。
ハッピーな子どもを育てる大人になるためのしつもん
課題と向き合うために、何を心に留めておきますか?