変化に耐えうる教育者になる
学ぶ前に答えにたどり着いてしまう世界
僕がまだ学校の先生になりたてのころ。
ようやくインターネットが生活の一部になり始めていたころ。
学校では、盛んにコンピュータを使った調べ学習が行われはじめました。
キュレーションサイトもグーグルもないような時代でした。
どちらかといえば、図書室で調べた方がまだまだ早い時代でした。
ところが、ある年から「調べ学習」に疑問をもち始めたのです。
子どもの作品を見たら、よくまとまっている。
でも、みんな同じことを書いているぞ?
そう、ウィキペディアの出現です。
「調べ学習」というけれど、本当は違います。
「検索学習」です。
便利な世の中になりました。
調べたいことを入力すれば、即座に答えにたどり着いてしまうのです。
「学ぶ」とか「考える」の前に、先に答えが見つかってしまう。
知的探求よりも知の消費になってしまう。
「これまでの学力」と「これからの学力」。
大きく変わると感じました。
分厚い時刻表よ、さようなら♪
総合的な学習の時間に「上級学校訪問」というのを行いました。
高等学校や専門学校を訪問し、進路選択の参考にするのですね。
それで事前の学習として「行き方調べ」なんてのをやります。
どんな公共交通機関を使えばいいか。
交通費はいくらかかるのか。
時刻表はどうか。
そんなことを調べるのですね。
僕が先生になりたてのころは、ネットではなく分厚い時刻表を片手に調べていました。
何班もあると、これがかなり骨の折れる作業です。
子どもたちが調べてきたものを、一つひとつ先生たちはチェックをする。
時間通りにたどりつけるか。
お金は足りるか。
そういうことを点検していくのですね。
ところが最近は便利ですね。
出発駅と到着駅、それに到着予定時刻を入力すれば、全部答えを教えてくれます。
でね、僕は「行き方調べ」なんてやめてしまいました。
「時代に合わないよ」って思ったから。
その時間がもったいないと思ったから。
「そんなことじゃ大人になったら困るよ」と指摘してくださった先生がいました。
子どもたちが大人になるころには、もっと便利になっているはずです。
そういう部分において、頭を使う必要のない未来が待っていると思うのね。
進化してますか?
インターネットが悪いだなんて、カケラも思ってないんです。
むしろ、便利になって大変よろしいと思ってます。
大事なのはね、その時代その時代に合わせていくこと。
いかに進化していくかってこと。
そういう意味じゃ、教育者って時代の変化に敏感じゃなきゃいけないなって思う。
むしろ、5年先10年先を見越して、進化しなきゃなって。
前述の「行き方調べ」の時間。
僕は、「生き方」を話し合う時間に充てました。
「行き方」じゃなくて「生き方」。
模造紙とプロッキー、付箋紙を使って、どんどん話し合う。
意見を出し合う。
そんなことに時間をかけました。
知の消費の時代。
蓄積された知識をいかにアウトプットするか。
考えて考えて考え抜いて、それをいかに知恵にしていくか。
本質を見つけていくか。
そういうことが大事だと思うのですね。
ダーウィンは言いました。
生き残るモノ。
それは強いモノでも、賢いモノでもありません。
変化できたモノ。
その時代に、その環境に合わせて変化することを厭わなかったモノだけが生き残っていくのです。
2学期がスタート!
新しい取り組みを始めます。
日々、進化です。
ハッピーな子どもを育てる大人になるためのしつもん
時代に照らし合わせたとき、やめてもいいものは何ですか?