価値観多様化時代の教師像
昔はね、
「親の言うことは絶対」
「先生の言うことは絶対」
という時代があったんですよね。
どんな理不尽な理由であっても
「先生に叱られたお前が悪い!」
という時代がありました。
でもね、今は価値観多様化時代です。
いろんな価値観が許容される時代なんですね。
「先生だから偉い!」なんてことはないんですね。
ときには、
「先生=世の中を知らない人」
そんなマイナスのブランディングになることもあります。
子どもたちの意識の中では、
「大人」や「先生」は
「絶対的に信頼できる人」
ではないのかもしれません。
でね、
「先生」と呼ばれる大人たちは、精一杯「先生は偉い人」という「スリコミ」をしていきます。
「先生には敬語を使いましょう」
「困ったことがあったら先生に相談しましょう」
なんて言い続けていくわけです。
で、ここに力づくの指導を加えることで、虚像の指導力を作り上げていくんですね。
このやり方をずーっと続けているわけです。
昭和の時代から。
いや、もっとずーっとずーっと前からの教育モデルを続けているのです。
だってさ、
「先生=偉い人」
になっていないとさ、
マインドのない先生は太刀打ちできんだもん。
これだけ世の中がハイスピードで変化していく中で、公教育は古いOSのまま、小さなバージョンアップを繰り返してきたのです。
延命措置と呼んでもいい。
でも、もうあちこちで歪みや亀裂を生んでいる。
在り方そのものを変える転換点に来ていると思うの。
これまでの先生。
これまでの学校。
価値観多様化時代には、一つの価値観を植え付け、枠に収めていくような教室は、子どもたちを殺していくことになるんだな。
みんな違ってみんないい。
そういうことをちゃんと認めていく。
「違い」は「間違い」じゃない。
「あの子はこう考えていて、私はこう考えている。どっちもおもしろい!」
そういうものの見方や考え方。
大切にできるのが、価値観多様化時代には必要なんだと思います。
そういう意味でもね、子どもたちは自分のことをリスペクトできるだろうか?
日々、自身に問い続ける必要があるのですね。
教育者とは
自分自身を教育し続けられる者
です。
変えられるのは自分だけ。
子どもたちの姿を鏡にして、自分の在り方を磨いていくのですね。
その姿にこそ、子どもたちはリスペクトするのです。
旧モデルの大人像を捨て、新しい時代の大人像を見つける。
答えはそれぞれの内側にしかありません。
ハッピーな先生になるためのしつもん
どんな姿で子どもたちの前に立ちますか?