「ペテン師」みたいな仕事だな。
学校の先生になったばかりのころ、僕はこの仕事を「詐欺師」みたいな仕事だと思っていました。
これ、正直な感想なんです。
話術で巧みに笑いを取り、楽しい先生だと思わせる。
それは、それほど難しいことではありませんでした。
授業が楽しいのではなく、雑談が楽しいだけ。
そして、答えを教えてしまうから、さもわかったような気にさせます。
「この文章はこういうことが書いてあるんだよ」
「作者はこんな人なんだよ」
「ここはこういう意味だよ」
「ここ、テストに出るよ」
全然文章も書けないし、文章も読めていないけれど、記憶力のある子は高得点を取る。
そんな子は、他の教科だって成績がいい。
「他の教科の成績もいい子」がいい成績を取ると、なんとなく安心していました。
なんかさ、学力をつけているわけではなく、答えを教えているだけ。
点数の取り方を教えているだけ。
わかっていない子に、わかった気にさせてしまう。
そのやり方が僕には詐欺師に思えてしかたがなかったのです。
「わかった気にさせるのなんて簡単なんだよね」
そんなことをだれかに話した記憶があります。
「答えを教えて覚えさせればいいんだもん」
教師になって2年ほどは、「なんて簡単な仕事だろう」と思っていました。
転機になったのは、2年目の冬。
魯迅の『故郷』の授業を、ある教育書通りにやったんです。
すると、明らかに違いました。
教室の空気が変わりました。
それまで我流で「教え込み」、適度に笑いを取ることで「おもしろい先生」と呼ばれて満足していた自分。
そう!
そんなペテン師のような仕事ぶりを恥ずかしく思った瞬間でした。
「こんな授業、あと30年も続けていくのか?」
なんだか、学校の先生という仕事がバカバカしく感じられました。。
「もうこんな詐欺師みたいな仕事はしたくない」
本当にそう思ったんです。
それからはとにかく本物の授業がしたくて勉強しました。
20代はたくさん勉強しました。
いろんなチャンスを与えられ、研究発表をしたり、夜間中学校で教えたり、教育論文を書いたり。
学んで学んで、トライ&エラーを繰り返しでした。
どうしたら、本物の授業になるか。
どうしたら、授業が上手くなるか。
20代は修行の時間でした。
そうやって真剣に「授業」に向き合っていたら、シンプルな答えにたどり着いたんです。
それが、「教えない」ということでした。
「先生が教える」のではなく、「子どもたちが学ぶ」。
そういう時間を創造していく。
「教える技術」を積み上げていったら、最後に残ったのは「教えない技術」だったのです。
今や、優れた実践例は簡単にインターネットで手に入ります。
書店に行けば、いくらでも有益なコンテンツに出会えます。
HOW TOにあふれた世の中です。
それなりに「見せる」ことは、いくらでも可能です。
成功例を模倣すれば、失敗することはないでしょう。
仮に失敗したとしても、その失敗の理由はわからないでしょう。
気がつけないでしょう。
「本物」になる方法はたった一つしかありません。
トライ&エラーを繰り返し、いっぱい失敗することです。
いっぱい失敗して、そのたびに修正して、自分の授業力を磨くことなんです。
20代のうちに、たくさん失敗させていただけたことが、今の僕の礎になっています。
ハッピーな先生になるためのしつもん
どんな失敗をしてみますか?