「自分がどうしたいのか」を大事にする
学校ってさ、「こうでなければならない」にあふれているの。
僕はもう、それがイヤでイヤでたまらない。
そんな僕もね、「恐れの選択」が大好きな先生だったんだな〜。
「こうでなければならない」
「こうあるべき」
そんな先生だったんです。
でもね、あるときたくさんのストレスを抱えすぎてパンク気味になっちゃって、あるセラピストさんに言われたの。
「本当はどうでもいい!って思ってることなのに、生徒指導の先生って立場だから叱ってるでしょ?
ホントは叱りたくないのに、叱らなきゃいけないでしょ?
それが一番のストレスになってるのね。
ホントはただ笑ってたいのに、怖い顔をしてなきゃいけないって思ってるでしょ?
それ、もう手放してもいいんじゃない?」
そうやって言われてハッとしたの。
僕はず〜っと生徒指導の先生でした。
小・中学生のころ、学校の先生にいっぱい殴られて殴られて。
とにかく学校の先生が大嫌いだった。
「学校を変えてやろう!」
「学校をおもしろおかしくしてやろう!」
なんて思って先生になったのに。
フタを開けてみたら生徒指導しか回ってこず。
ず〜っと生徒指導。
怒鳴って睨みを利かす嫌われ者のポジションね。
ず〜っと歩くルールブックをやってきたの。
でも、それは僕の魂に背を向ける行為だったんだな。
そのセラピストさんと出会って以来、僕はどうでもいいと思うことは、「どうでもいい」と言うようになった。
「くだらねえこと」は「くだらねえ!」って言うことにしたの。
どうぞ、後ろ指をさしてください。
心が壊れないようにするために、僕はつまんない指導はしないって決めたんです。
アホくさいことはやらんのです。
でね、たとえばさ、「食べ残しを許してはならない!」って飯を食わすことに必死になってる人がいるのね。
全部食べるべき!
残さず食べるべき!
「べき」「べき」「べき」
まあ、僕は学年主任だけど「つまんないルール」を「つまんねえ」って言っちゃう不適格教員だからね、そういう指導はしない。
食べたくないモノをイヤイヤ食べるなんて、食べ物に失礼だ。
じゃあ、残すのはもったいない?
そ〜だね。
そう思うよ。
「んじゃさ、箸つける前に食べたい子にあげちゃダメなの?」
って尋ねたら、そういうことはダメなんだそうな。
マジでメンド臭いんスけど。
なんだかよくわからんけど、人にあげちゃダメらしい。
メンド臭い。
アホ臭い!
こういうの一つ取り上げても、一生懸命問題をつくってるんだよね。
で、注意なんてしないので、僕の周囲の子どもたちは残すんだな。
そうすると、「なんで注意しないんだ!」って話になる。
ごめんね、不適格で。
でもさ、数年前まで僕はそんなことを先頭に立ってやっていたわけさ。
人間って変わるものですね。
ハッピーな先生になるためのしつもん
その指導ってホントに必要ッスか?