嫌われることを許可すると人生は軽くなる♪
自分の人生を生きてますか?
今年に入り、「研究会」の仕事をすべて断ることに決めた。
ところが、断っても断っても「研究会の仕事をしろ」的な電話がかかってくる。
書類が送られてくる。
「いや、自分、もうその手の仕事はやらないんで」と言うのだけれど。
「そんなことじゃ困る」とか「責任がある」とか。
電話の向こうからイライラが伝わってくる。
終いには、「オレだってやりたくてやってるんじゃないんだ」なんて言われる。
やりたくてやってるんじゃない…。
じゃあ、やめればいいんだよ。
やりたくないならやめればいい。
むちゃくちゃカンタン。
長年、そういう世界にいて、仕事をしてきた。
最近気づいたことがある。
会費払って仕事させられてるの。
論文の指導とかさせられる。
受付係とかさせられる。
完全にボランティア。
勤務時間外の労働。
「それで子供を取り巻く世界が変わったかい?」と問われたら、答えは完全に「No!」なのだ。
だから、僕は「もうやらない」と決めた。
それはもう理由はシンプルで。
「子供のためになるか、ならないか」
ただそれだけ。
そんなことに時間を使うなら、僕はもっと子供たちのためになることがやりたい。
たしかに研究会、がんばったな。
組織の中で、ちょっとだけ役職もらって小さな優越感に浸れたよ。
若い先生を指導して、小さな自尊心を満たせたよ。
おかげで、夜間中学の先生もやらせてもらえたし、全国発表にも行かせてもらったし、研究論文もズバズバ通ったし。
海外に行けたのだって、そういう「がんばり」は評価されてたんだと思う。
だからね。
感謝はしてるんだ。
でもさ、いろんなおもしろい大人に出会って気づいちゃったんだ。
あー、もうそれ無理ーっ!
「そんな生き方つまんねー」って。
小さな世界で大きい顔することに嫌気がさしたの。
そんなわけで、全部やめてみた。
研究会なんか入らなくても、僕は毎日研究授業をしている。
勉強したければ、人に会いに行けばいい。
研究発表したり研究収録なんか作らなくても、ブログでもSNSでも発信できる。
電子書籍だって簡単に作れる。
そういう時代でしょ?
「今」という時代は。
それなのに、未だにボランティアで働いて、誰も読まない研究収録作って。
古いっス、マジで。
あのころの自分にはOKだったけど、今の自分にはNO。
ただそれだけ。
だから、やらないの。
でもね。
その仕事をがんばりたい人を全然否定しないよ。
僕もその世界でやってきたから。
やりたい人はやればいい。
やりたくない人はやらなければいい。
そんなこと、自分で決めればいいんだ。
「オレだってやりたくてやってるんじゃないんだ」
だとしてもだ。
それを選んでるのは自分だ。
僕一人、あなた一人、やめたって、何の問題もない。
そんなこと言うと嫌われるだろうな。
悪口の一つや二つ、十や二十は言われるな。
どうぞ、ご自由に。
僕は僕の生きたいように生きたい。
そういうことを子供たちに伝えたい。
空気なんて読まないよ。
迷惑なんかかけてないんだ。
ただ、迷惑だと思ってる人がいるだけだ。
そこを間違えちゃいけない。
「人生はやりたいことをやるための遊び場」
いつだって、そんなメッセージを子供たちに伝えたい。
「オレだってやりたくてやってるんじゃないんだ」
そんな言葉に逃げるのは、卑怯だぜって思うのです。
これまでの僕のモットーは、「頼まれた仕事は断らない!」でした。
そうやって詰め込んで詰め込んで、仕事に追われていました。
その荷物、全部おろしたら、ずいぶん軽くなったんです。
嫌われることを自分に許可しよう。
重い荷物をおろしてみよう。
大丈夫!
それでも地球は回ってくんだから。