学校に通えなかったおばあちゃんの話
学べることの幸せ
中学夜間学級。
いわゆる夜間中学校で、講師をさせていただいたことがあります。
週に一度、学校での仕事を終えると中学夜間学級へと向かいました。
僕の授業は19時から20時まで。
そこでは20名ほどの生徒が学んでいました。
戦争で学校に通えなかった方。
家庭が貧しく、毎日家業の手伝いをしていたという方。
母国が革命で学校そのものがなかったという外国人の方。
学生時代、学校にはなかなか足が向かず、中学校を卒業できなかったという若者。
「中学校を卒業するなんて当たり前」と思われがちですが、そうではありません。
学校に通う理由もさまざまです。
就労という面でも中学校を卒業しているというのは重要なようです。
20代から80代までのさまざまな境遇、さまざまな立場の方が週に3度、3年間教室に通い続けて中学校卒業の資格を得ていました。
さて、いつも一番前に座っているおばあちゃんがいました。
ご家族に送り迎えをしていただき、おばあちゃんはいつも一番前の席でニコニコしていました。
ただ、書いたり読んだりは何もしませんでした。
何一つせず、そこでニコニコ座っているのです。
ある日のこと、お勉強のお手伝いをしようとする私におばあちゃんはこうおっしゃいました。
「先生、いつもごめんなさいね。
もう、もうボケちゃっててね。
文字も書けないし、目もぼんやりしてて読めないし。
授業を聴いててもよくわからないのよ。
でもね、学校行けなかったでしょ?
今ね、こうやって先生のお話を聴いている。
それがうれしいの。
よくわからなくてもいいのよ。
こうしてここにいられるのがうれしいの」
この言葉が忘れられません。
そんな中学夜間学級は年度の終わりに卒業式を迎えます。
3年間通った生徒を送り出す卒業式の日。
僕より数倍も長く生きてきた教え子が歌う『ふるさと』。
その響きに、教室というものの尊さを噛みしめたのでした。
子供が今日も笑ってくれている。
それだけでいい。
子供が今日も私のそばにいてくれる。
それだけでいい。
そう思えたなら、僕らはもっと心地よく生きられるのかもしれません。
どうやら僕らは、多くを求めすぎているのかもしれません。
子育てに迷ったときに出逢いたい100の言葉
いろんなものを求めすぎているのかもしれないよ。