大学が就職予備校化してるって言うけどさ…
大学が就職予備校化しているという話がある。
何も驚くことはない。
「今に始まったことなのか、それ」って思う。
ついでに言うと。
高校は大学入試の予備校化している。
中学校は高校入試の予備校化している。
小学校は中学校入学の準備機関。
幼稚園や保育園だって小学校入学への準備機関。
そういう要素は、どうしたって拭い去れないよね。
一つの流れがちゃんとあるもんね。
日本の教育って、この一つの流れしかないんだよなぁ。
だから、苦しいのさって思うの。
もちろんそうではない幼稚園や保育園も増えてきて。
「自然といっぱい触れ合おう」的な。
それ、素敵だなぁ、って思う。
一方で、そういうところを卒園すると、今度は小学校に入学した後、そことのギャップに苦しんだりもするらしい。
なかなか教育って難しいよね。
教育って文化だと思うのね。
日本って異物を検出するのが早いよね。
島国だったからかな。
「こうでなければならない」が多いと思うんだな。
「みんなで一つのことをやりましょう」
「空気を読みましょう」
そういう文化があるじゃない?
大学から幼稚園まで一貫した教育のフローがあってね。
レールって呼んだ方がわかりやすいかしら。
そのレールから外れることは「悪いことだ」という考えが主流だよね。
「学校に行かなければならない」
これが、まあ、世間様の常識ですから。
じーちゃん、ばーちゃんは「なんで孫を学校に行かせないんだ!」とか言うし。
学校の先生は、「学校に来させてください」と言うし。
相談窓口は「お母さんがもっとしっかりしてくださいよ」と言うし。
よってたかって母ちゃんを責めるから、母ちゃんだって、ついつい子どもを責めてしまう。
何としても学校に行かせなきゃって思ってしまう。
そんな負のスパイラル。
だれも悪くはないんだよ。
だって、そういう文化なんだもん。
でもさ、だからさ。
思春期の子どもの専門家として、そのレールを外れても何とかなるよってことを伝えたいわけ。
どこかでレールを外れても。
一度もレールに乗らずとも。
その子は、その子の人生を100%楽しめるわけだ。
それは、スピリチュアルな話としての「なんとかなるよ」ではなく。
それは、なんだかよくわかんないけど「大丈夫だよ〜」の「なんとかなる」ではなく。
「今の状態でもこういう道があるよ。それからこういう道もあるよ」と道を示せる「なんとかなる」なわけで。
そしたらさ、学校に行かないことなんてホント、問題じゃなくなるもん。
ただ、これは重要なことなんだけど。
「で、どっちの道も選ぶのはあなたなんだけど、どうする?」ってことは問いかけたい。
「学校に行かない」という選択を応援したいのです。
もちろん、学校に行きたい子どもは行けばいいんだよ。
行くのもいいし、行かないのもいいし。
どちらも正解。
答えはその子の中にあって、自分で選択していく。
そして、選択したことに責任をもつ。
僕は、それこそが本物の教育であり、子育てだと思っている。
自分の足で歩き、人生を選び取っていく力。
それが『生きる力』じゃないの?って思うわけです。
子育てに迷ったときに出逢いたい100の言葉
学校に行くのもいいし、学校に行かないのもいいし。