大人の「在り方」で、子どもは変わる。
子どもの悪いところを探そう!
今日一日、子どもの悪いところを探してみてほしい。
何ができないか。
どんなところが悪いのか。
一日中探してみてほしい。
どんどん人と比べてみよう。
比較するとわかりやすい。
この子がいかに、他人と比べて劣っているか。
どんどん探してみるといい。
そういう見方で眺めれば、きっとこの子は悪く見える。
ダメな子に見えるはず。
一方、いいところばかりに目を向けてみよう。
この場合、比べる必要なんて一つもない。
できてることにフォーカスするだけでいい。
あれもできる。
これもできる。
そういう視点、眺めてみる。
どうだろう?
きっとこの子が輝いて見えるはず。
つまり、問題は子どもにはない。
それを問題と感じている「大人」の側にあるのだ。
子どもを変えようとすると苦しい。
子どもの中に問題を見つけると、大人は「子ども」を変えたくなる。
「ああしなさい」
「こうしなさい」
アドバイスしたくなる。
指示をしたくなる。
次第に心が離れていく。
つながりが途切れる。
だから、さらに言葉は響かなくなる。
その問題を起こしているのはだれだろう?
そう。
やっぱり「大人」の側にある。
在り方が問われる時代
結局、問われているのは「大人」の側の「在り方」だった。
「学校の先生」だから「子どもたち」をコントロールしなければならない。
そう考えた瞬間からうまくいかなくなる。
「親」だから「子どもたち」を躾けなければならない。
そう考えた瞬間からうまくいかなくなる。
きっと、心で感じなくなるからだ。
フォーカスが子どもではなく自分に向かう。
子どもたちが何を感じているのかを味わうことなく。
ただただ「こうあるべき」に従って、行動を選択してしまう。
「学校ではこうすべき」
「家庭ではこうあるべき」
そう考えた瞬間、目の前の子どもを感じることを怠ってしまう。
変えられるのは自分だけだから。
もっと自分の在り方を磨いていきたい。
子どもとつながる問いかけの魔法
目の前の子どもたちは何を感じているだろう?