大人に反抗したくなる子どもの気持ち♪
正義の反対は悪ではない。
見方を変えれば、それは「別の正義」。
そんな話を読んだ。
なるほどな、と思う。
いい言葉なので、パクろうと思う。
人は自分の価値観を押し付けたくなるのだけれど
それはその人にとっての価値観であって、
別の人の価値観ではない。
世界中で戦争がなくならないのは、
きっとそんなところがあるからだろうな。
だれもが、自分が正しいと思って行動している。
悪名高い政治家も、
凶悪な犯罪者も、
自分が正しいと思って行動している。
僕らはみんな、
自分の行動を選んでいる。
「やりたくてやってんじゃない!」
なんて言うけどさ、
本当はそれすら選んでいるんだよね。
「こうでなければならない」という怖れの選択。
「これをやりたい」という愛の選択。
どちらも僕らは選んでいるのだ。
子どもたちに、
「もっとこうした方がいいんじゃないの?」
なんて大人は声をかけがち。
子どもが求めてもいないのに、
大人はついついアドバイスを送りがち。
でもね、子どもは「子ども自身の選択」で、
その行動を選んでいるのだ。
アドバイスはいらない。
子どもに求められるまでアドバイスはいらない。
あなたの正しさを、
子どもに押し付ける必要などないのだ。
失敗すること。
それすら、この子は選んでいるのだ。
それでいい。
それがいい。
学校には、たくさんの「こうでなければならない」が存在する。
それすら学校が生み出した価値観だった。
学校にとっての正義だった。
昔、ヤンチャな子どもを排除し、
学校から追い出すように要求されたことがあったっけ。
「担任なんだから、
アイツに学校に来るな
って言いなさい」
そう言われて、楯突いた。
「ふざけんな、バカ!」ってね。
口の利き方を知らない僕は、
よく年配の先生とぶつかったなぁ。
まあ、確かに僕は納得行かなければ校長だろうが教育委員会だろうが、平気で意見した。
うんちく垂れる校長に、「ゴチャゴチャ言ってんじゃね〜ぞ」って言って、職員会議をシーンとさせたり。
「俺たちは使い捨ての消耗品じゃないぞ!」って教育委員会の先生に言ってみたり。
僕は僕の正義で行動してきた。
それだって、「正義の反対は別の正義」ってことなんだろうな。
当時の校長先生や教育委員会の先生たちだって、「正しい」と思って行動していたわけで。
価値観を押し付けられると反発したくなるよね。
子どもたちだって同じだよ。
大人の価値観を押し付けたら反発する。
反抗期ってのは、誰が反抗させてんですか?って話なわけさ。
子育てに迷ったときに出逢いたい100の言葉
絶対的な価値観なんてものは存在しないのだよ。