「紺色はいいけれど青はダメ」って何だ?
「中学生らしい身だしなみ」をすること
僕はこのルールが嫌いだった。
「○○らしい」ってのは、その人によって解釈が違うからだ。
そんな話をしたら、同僚から
「学校の先生ならわかるでしょ?」
と言われた。
そうそう。
この「先生の基準」ってのが厄介なのだ。
で、そのルールがブレないために、なんとこの学校では「覚え書き」みたいな細かいルールが職員に配られていた。
「エッ?こんなの全部、覚えてるの?」
「ウチ(の学校)は、このルールで指導を統一しているから」
なるほど。
2秒後にゴミ箱行き。
マジでくだらねー。
そのルールがなぜ生まれたのか。
そこに目を向けず、「ルールを守らせること」を大切にしてしまう。
本来、ルールなんてものは何一つ必要ないわけ。
ルールなんてなくても、みんなが心地よくやれたら、それでいいわけ。
ところが、やっぱり集団生活をしていると、いろんな不具合が生じる。
だから、ルールが必要になってるのね。
でも、そのルールってさ、地域性とか時代的な流れとかあるじゃない?
学生服のデザインなんて、まさに制服が生まれた時代を反映してるよね。
で、そこから時代が流れてるんだから、時代に合わせて変化するのは普通のことでしょ?
で、だよ。
「中学生らしい身だしなみ」ってのが、僕は引っかかるわけ。
ってのはね、当時「女子の髪ゴム」の色が話題になった。
僕は正直、そんなことはマジで「ど〜でもいい!」と思っていて。
「青いゴム」はダメで、「紺色」はいいらしいの。
んで、生徒が「先生、注意されたんだけど、ダメなの?」って。
「こっち(青)のゴムはダメで、こっち(紺)はいいって、何ですか?」って。
まあ、こういうとき、子どもってちょっとズルくて、相手を見て話を振ってくるところがある(笑)
で、生徒指導の先生に尋ねたわけ。
そういうとき、頭の悪い先生の結論は「ダメなものはダメ」というところに落ち着く。
全然、子どもと向き合わない。
そして、周囲も「空気」を読むから議論しようとはしない。
終いには、「受験のとき困る」という伝家の宝刀を繰り出す。
僕から言わせれば、「受験のときだけちゃんとやればよくね?」と思うわけだが、優秀な先生方は「それではいけない」と言う。
日頃から「ちゃんとすべき」なのだ。
ま〜、「出張のときだけスーツ着てくるくせに、何を調子の良いこと言ってんのさ」って思うけど。
子どもに「ちゃんとしろ」と言う以上、大人がちゃんとするのは当たり前。
本来、ルールってのは必要がなくて。
けれど、集団生活を送るために、どうしても必要があって生まれているわけね。
その視点でルールを見つめないと、学校がどんどん窮屈になるのだよ。
そして、そういう部分で子どもと向き合えると、子どもも信頼を寄せてくれるんだよね。
こちらが変わると、子どもが変わるわけさ。
変えられるのは自分だけってのはそういうこと。
ハッピーな先生になるためのステップ
そのルールが生まれた背景は何ですか?