それって自己承認欲求ですか?
たとえばSNSが存在しなかったら、
あんなにも僕らは、
食べ物の写真を撮るだろうか。
僕らは贅沢をする。
その写真を人に見せたくなる。
著名人と会うと、
一緒に写真を撮りたくなるし、
SNSにアップしたくなるし、
タグ付けしたくなる。
この気持ちは何だろう?
自慢がしたい?
それだけではない気がする。
著名人と写っている人、
美味しいものを食べてる人なんて、
いくらでもいる。
SNSを眺めれば、
そんな人だらけだから。
別に自慢にはならないだろう。
じゃあいったいこれはなんだい?
ってことなのだ。
時折、「フェイスブックを辞めます」と宣言する人がいる。
「辞める理由」をダラダラと語る。
あれは、やっぱり何なのだろう?と思う。
みんな自分を見てもらいたい。
そんなところがあると思うのだ。
先日も講座中に、
いつまでも自分の話を続けている人がいた。
講師である僕としては、
サクサク進みたい。
周りが静かになると、
一層声が大きくなった。
あたかもその瞬間気づいたかのように装って、
「あら、気づかなかったわ」と言っていた。
その声は一際、大きな声だった。
(注目されたいんだな)と感じた。
教室を眺めれば、そんな子どもはいくらでもいる。
大人にいたって不思議ではない。
問題は何のために注目されたいか、なのだ。
満たされない自分の思いを満たすために、人から注目を浴びようとするのは浅ましい行為だ。
今の時代は発信力がモノをいう時代だ。
発信し拡散する力、応援される力が必要だ。
僕はそのためにyoutubeを使い、ブログを書き、メルマガを配信している。
ある意味では「注目を浴びること」で、クラウドファンディングを成功させ、仲間を募り、イベントオーガナイザーとして集客する。
セミナー講師として全国に呼んでいただいたり、講演を主催していただけるのも、そういう発信を続けてきたからだ。
子どもたちをハッピーにしたい。
そういうことが自然とできる大人を増やしたい。
先生も親も、そんな気持ちで子どもと接することができる社会になれば、日本の未来は明るい。
だから、僕は発信を続けている。
大切なのは「何のために」なのだ。
「目立つこと」は手段の一つなのだ。
できれば、僕は一人静かにパソコンに向かっていたい人間で。
目立ちたくなんかない。
妻に「あれに行け」「これに行け」と言われるけれど、実はほとんどの企画を断っている。
よほど直勘がゴーサインを出さないと動かない。
めんどくさいんだもん。
だから、僕は「奪うエネルギー」の強い人が苦手です。
というか、嫌いです。
ある、「見える人」から言われました。
「極端にセンシティブな人間」だと。
だから、「奪うエネルギー」の強い人って、すぐわかるんです。
一緒にいると、疲れるから。
今、ジャカルタに来ています。
あきらかに日本よりも貧しい国です。
日本は豊かな国かもしれません。
でも、心は豊かでしょうか。
なぜ、そんなにも周りから認められたいのかがわからない。
あなた自身があなたの一番のファンになること。
それさえできればこの問題は解決するのになぁと思うのですが。