応援者であり続ける。
少年時代の思い出に母親の姿はありませんでした。
なぜだか思い出せることと言えば、お父さんと二人きり。
遊園地の思い出も、海水浴の思い出も。
お酒を飲まないときは、無口で物静かなお父さん。
お酒を飲むと、理屈っぽくて、時には手も飛んでくる。
そんなお父さんでした。
一方、お母さんは気性の荒い人でした。
突然柔道を習わせ出したり、新聞配達のアルバイトをさせたり。
それで文句の一つも言おうものなら、包丁を握りしめる。
そんなお母さんでした。
彼は述懐し、寂しかった、家庭の温もりがほしかったと言います。
そんな家庭で育ったのが、堀江貴文さんです。
東京大学在学中に有限会社オン・ザ・エッヂを起業。
近鉄バファローズやニッポン放送の買収で一躍「時の人」となりました。
言わずと知れた実業家です。
そんな堀江さんですが、家には「本」と呼べるものがなかったのだそう。
唯一の読み物が百科事典でした。
そこで、その百科事典を読み漁りました。
それが自ら情報を追い求めていくスタイルの原点になったと言います。
そんな堀江さんの初めての理解者は、小学校3年生のときの担任の先生、星野美千代先生でした。
生意気なところも、面倒臭いところも、不器用なところも全部おもしろがってくれて、全部ほめてくれる星野先生。
「協調性」のなかった堀江さんは、先生やクラスメイトから「問題児」として煙たがられる存在でした。
でも、星野先生は違いました。
「みんなに合わせる必要はない。その個性を伸ばしないさい」と言ってくれたのです。
その後、堀江さんは星野先生の勧めで進学塾に通い始め、やがて中高一貫の進学校に進みます。
そこから、日本の最高学府、東京大学へ。
堀江さんの快進撃が始まります。
星野先生は、堀江さんにとってはじめての理解者でした。
そんな堀江さんですが、ライブドアの事件で収監されることになります。
収監中、一度だけお父さんから手紙が届きます。
「いろいろ大変なこともあるだろうけど、がんばれ」
そんなぶっきらぼうな手紙でした。
読み返すこともありませんが、捨てることもできません。
ただ、返事を書けば泣き言を言ってしまいそうで、返事を書くことはできませんでした。
理解者の存在が人を強くします。
応援者がいるから、僕らは強くなれるのです。
勇気が湧いてくるのです。
事件によって、堀江さんの元から去っていく人もいました。
そんな中で届いたお父さんからの手紙。
不器用ではあるけれど、お父さんもまた理解者であり応援者であったのかもしれません。
子どもの才能が花開く問いかけの魔法
あなたの応援者は誰ですか?
【参考文献】
堀江貴文 著
『ゼロ なにもない自分に小さなイチを足していく』
(ダイヤモンド社)