心をすり減らして生きてる時間が、僕らにはない。

子どもとつながる問いかけの魔法 もくじ

生き方って選べるんだよね。

選んでいいの。

 

 

僕は16年勤めた「学校の先生」を辞めた。

文部科学省に選ばれ、海外派遣教員として海も超えた。

一応優良教員なので、教員免許更新講習も免除だったりする。

 

 

まあ、ある意味、順風満帆だったわけ。

だからかな。

「辞めると決めて反対されなかった?」って話は、よく尋ねられる。

 

 

もちろん、実家の父や母には猛反対された。

「もったいない」って。

 

 

まあ、でもね、ウチの妻はカケラも反対しなかったの。

 

そもそも、僕を大きく変えたのは、マツダミヒロさんの『ビジネスマスター』というオンライン講座だったの。

それを紹介したのは妻ね。

 

「俺、帰国したら仕事やめるから」

 

そう言って、上海から帰国。

1年生の担任だったら3年。

2年生の担任だったら2年。

3年生の担任だったら1年。

 

「もう一度だけ子どもたちを卒業させたら、僕も卒業しよう」

 

そう決めていた。

かくして、中2の学年主任になった。

残された期間は2年間だった。

 

 

となれば、もうやるしかない。

フェイスブックページをスタートし、ブログを作り、メールマガジンの配信を始めた。

仕事を猛烈なスピードで終え、どれだけ後ろ指を指されようが、定時で退社。

 

 

学年主任で、進路指導主事で、学級担任で、国語主任で、図書主任で、学年の生徒指導も学年会計も修学旅行も総合学習も、「ぜんぶ俺」。

授業は2学年受け持ち。

 

 

そのかわり、外部の研究会やら組合活動はぜんぶ切った。

もう辞めるって決めているのに、やる理由がないし。

それで、やっぱり叩かれたりもした。

 

 

よくよく考えると、そういう「完全なるボランティア」の外の仕事もいっぱいやっていたわけだ。

ぜんぶ切って叩かれたけれど、要するに勤務時間外の無償労働は切り捨てたわけ。

 

 

その時間を僕は未来のために使った。

進路指導が忙しくなる12月に、完全招待制イベントを企画するとか、よくよく考えたら普通じゃないよね。

 

 

仕事を辞めることは、1年前の春には校長先生に伝えてあった。

「もう辞めますから、代わりの先生を見つけておいてくださいね」と。

 

 

退路を断つのと代わりを見つけてもらうための配慮ね。

12月にいきなりあと3ヶ月で辞めます…みたいなのは愛がないじゃん?

 

 

そもそも、国語の先生って女性の割合が多いから。

生徒指導に長けた国語の先生って、どうしたって少ない。

 

 

まして。

学年主任で、進路指導主事で、学級担任で、国語主任で、図書主任で、学年の生徒指導も学年会計も修学旅行も総合学習も、「ぜんぶ俺」。

授業は2学年受け持ち。

 

 

死んだら確実に過労死に認定されそうな校務分掌なわけ。

ホント辛かった。

 

 

正直いうと、学校の体制もマジで辛くて。

だからこそ、「学校の先生」って仕事には、カケラの未練も残さずに辞めることができた。

なんか、ラストはすげ〜孤独な気持ちで仕事に没頭したな。

 

 

これは本当にありがたいことだと思う。

これまで赴任した学校のように、素敵な仲間に囲まれていたら、踏ん切りがつかなかったかもしれない。

 

 

 

こういうの一つ取っても感謝なの。

迷わなかったもん。

 

 

「俺、16年もこの仕事やってきて、最後はこの扱いなの?」って思ったな。

離任式も早く帰りたいなぁ…って思ったし。

 

 

 

まあ、だからこそ振り向かずに進めたな〜って心から思うよ。

 

 

この前ね、別のところから、数ヶ月間だけ講師のお話があったの。

まあ、こんな時期に突然の講師の話だから、「ワケあり」なんだろうけど。

「ちょっと面白そう」って思ったんだよね。

でも、ふと最後の学校の経験が頭をよぎって、「もう今の僕では楽しめないな」って思い直した。

 

 

定年まで「学校の先生」を続けますって人もいる。

いつか「学校の先生」を辞めますって人もいる。

 

 

どっちがいいとか悪いとか、ないよね。

ただ、退職を経験した僕が一言お伝えできるとしたらね。

 

 

「卒業のタイミング」は必ずやってくるってこと。

マジで身体とか心とか壊すまでやっちゃダメだ。

 

 

僕はそれは声を大にして言いたい。

生き方は選べるから。

 

 

そうそう。

16年間働いて38歳。

たぶんこれからの時代はさ、70歳ぐらいまで働くんだよ。

 

 

そうすると、あと32年。

つまり16年の2倍さ。

 

 

そんなにも、この働き方をする自信はなかったな。

正直言って。

「あと32年はやれねぇ…」

そう感じたの、肌感覚でね。

 

 

一番、身体の無理の利く時期に辞めて、これから一生涯続けられるビジネスを構築する方が、現実的だと思ったの。

全盛期だよ、今。

だから、辞めるの。

 

 

校長になれる?

いや、別にそれは、僕の中で魅力的に映らなかったんだよね。

 

 

あのね、「校長先生が魅力的じゃない!って書いてるわけじゃないからね。

僕にとって、そのポジションは面白くないって意味ね。

 

 

校長になったら、好き勝手にやれると思ってたんだけどね。

どうも、そうじゃないぞ、と。

なんか「社長」っていうより「店長」だよな…、って思ったの。

 

 

あくまでも、僕の目で見た感想ね。

悪口じゃないからね。

素直な感想として、社員の生活を守ってる「社長さん」のイメージからすると、なんとかお店を切り盛りしている「店長さん」の方が近い感じがしたんだよね。

 

 

僕は、ず〜〜っと教育は「人」だと思っている。

「人」がすべて。

 

 

だから、使えない教員はさっさとクビにした方がいい。

…と若い頃は思ってたんだ。

 

 

でもね、どうやら、そうではないらしい。

「使えないヤツ」をうまいこと使って学校を回していく能力が「店長さん」には必要みたいなのよ。

 

 

まあ、その能力は僕にはないことが、学年主任をやってみてよくわかった。

マネージメント能力なし。

完全なるプレイングマネージャーだった。

二刀流どころの騒ぎじゃないぜ。

 

 

で、追い込まれて、マジで心折れそうになってたもんな。

 

 

今はね、心は健康そのもの。

マジで最後の1年は病んでたから。

心が病んでた。

 

 

「早く辞めて〜」って、毎朝思ってた。

でも、生徒がかわいくてね。

「この子たちの進路を決めて卒業させてあげたい」

その思いだけで、毎朝電車に乗っていたもん。

 

 

仕事を辞めた今、僕は堂々と言える。

「生き方は選べる」って。

説得力があるでしょ?

 

 

公務員は安定してる?

ウソウソ。

心が病んだら、安定もへったくれもあるかよ。

 

 

今もときおり、仕事が辛いです…と相談のメールが届く。

「辛い」と思ったとき、心が擦り切れて穴があくまで働くってのも一つだよな。

そうしたい人はそうすればいいさ。

 

 

それを選んでいるのは、あなただもん。

誰も悪くないよ。

あなたが悪いわけでもないよ。

 

 

選んだ道。

ただそれだけのことね。

 

 

 

僕は「辛い」と思ったとき、別の生き方を選べる体制を作っておくのがいいと思うよ。

人生のリスクヘッジだよな。

お金の勉強も、ビジネスの勉強も、イヤってほどした。

それもまた、僕が選んだことだよね。

 

 

そうやって、2年で準備して、公務員を辞めたんだ。

あなたも「やりたいこと」やった方がいいと思うよ。

マジで。

 

くればやし ひろあき

・株式会社ミナクル組織研究所 代表取締役

・フォロワー10万人の教育系TikTokクリエイター「くれちゃん先生」としても活躍中。人間関係や教育についての動画を配信

・1978年、愛知県生まれ。16年間公立中学校の教員として3,000人以上の子どもたちを指導。名古屋市内で最も荒れた中学校で生徒指導の責任者を務め、その後、文部科学省から上海に派遣され、当時世界最大の日本人学校であった上海日本人学校の生徒指導部長を務める。

・互いの「ものの見方や感じ方の違い」を理解し合うことで、他者に寛容な社会を実現したいと願うようになり、2017年独立。

・独立後は、教員時代の経験を活かし、全国の幼稚園や保育園、学校などで保護者向け講演や教職員研修を行う。2018年・2019年には、100人のボランティアスタッフを束ね『子育て万博』を主催。今年10月にパリコレクションのキッズ部門を日本に誘致して開催された『Japan Kids Fashion Week2021』において、全体計画及びキッズモデル・ボランティアスタッフ総勢150名のマネジメントを担当。

・2020年11月、「スタッフみんなが、明日も生き生きと来る!」を理念に、株式会社ミナクル組織研究所を設立。経営者、教職員、スポーツ指導者など、組織のトップや人を指導する立場の人たちから依頼を受け、人間関係づくりやチームづくりに関する講演や企業研修、教職員研修を行っている。経済産業省の事業再構築事業として人材分析システムを開発中。