仕事と遊びの境界線をなくすと人生は面白くなる。
「学校の先生」という仕事はなかなかブラックだ。
そもそも勤務時間内で仕事が終わるような設計にはなっていない。
残業ありき。
そんなところが多分にある。
だいたい勤務時間が始まる前から子どもは来るし、勤務時間後も子どもがいる。
店員さんが仕事を始める前からお客さんが店にいる飲食店なんてあるだろうか?
そういうことが日常なのだ。
ただ、昨今のなんでも「ブラック」と表現することには違和感を感じる。
就職する前からわかっていたことだし、それを含めてこの職業を選んだのは自分だもんなぁと思う。
まあ、働き方が変わってきて、職業観も変わってきたんだけどね。
今日は、そんなことをツラツラと書いていきますわ。
僕はこの仕事が好きだった。
好きで仕事をしていた。
深夜の印刷室で、ひたすら子どもたちの文集を印刷し続けたこともあった。
印刷室を独占すると、他の先生に迷惑がかかる。
だから、誰もいない深夜。
印刷機を回し続けた。
でも、僕は幸せだった。
この文集を手に取って目を輝かせる子どもたちを想像すると、朝が待ち遠しかった。
夜遅くまで生徒指導に奔走することもあった。
休日に呼び出されることもあった。
泥酔してるのに呼び出されることもあったっけ…(笑)
その度に、僕は楽しんで仕事をしていた。
子供の頃から大好きだったサッカー。
だから、サッカー部のときは休日も喜んで部活の練習に出かけた。
その後、野球部やバスケ部の顧問になったけれど、やっぱり喜んで出かけた。
そもそも、子どもたちと過ごすのが好きなのだ。
職員室は好きじゃないから、教室で仕事をすることの方が多かったな。
そうそう。
そんなふうに考えると、「学校の先生」という仕事は天職だったなぁと心から思う。
「総合的な学習の時間」の中で、「どんな大人になりたい?」という質問をした。
そんなとき、ある女の子が「くればやし先生みたいになりたい」と言った。
男子生徒ならともかく、女子生徒がそんなことを言うものだから、驚いてしまった。
「へ〜っ。なんで?」と尋ねたら、「楽しそうに仕事をしている」と答えてくれた。
子どもたちの目には、そう映っていたらしい。
「他の先生とは違う」って言うんだよね。
まあ、楽しんで仕事をしている先生、いなかったのかもしれないね。
「遊び」と「労働」の境界線をなくしているタイプと、「仕事は辛いもの」と思っているタイプでは、見え方が変わるんだ。
子どもたちって、本当に人をよく見ているよ。
僕は「学校の先生」という仕事を辛いと思ったことはないの。
職員室は本当に嫌いで仕方がなかった。
「子どもの悪口」を言う教員を見ると、さっさと辞めればいいのに、っていつも思ってた。
そりゃあ大変なことは山ほどあったけれど。
僕はそもそも「学校の先生」という仕事が好きだった。
娯楽だったと言っていい。
アホみたいな労働時間だし、休日出勤もバンバンあったけれど。
そうそう、好きだったんだよな。
楽しんでたの。
だからね、そんな姿を見た子どもたちが「この人、楽しそうに生きてるなぁ…」って思ったんだろうね。
他の先生が「こうあるべき」に追われ楽しそうに仕事をしていない中で、僕は楽しく仕事をしていた。
そこの差だと思う。
先生になった動機を聞くと、「憧れの先生がいて、その先生みたいになりたかった」という人は多い。
「学校の先生」の仕事が好きだったわけではなく、「学校の先生」である自分が好きなタイプだ。
わかります?
子どもたちと一緒にいるのが好きなんじゃなくて、子どもたちに偉そうにしている自分、先生ヅラしている自分、指示を出して子どもが忠実に動くのを自分の手柄のように感じている自分が好きな先生ね。
で、そういうタイプって、人間的な魅力を磨くことなく「ハウトゥ」に走っちゃう。
で、思い通りにいかない。
まあ、今ってそういう時代。
より、時代が「技術」ではなく「人」に向かってる時代なの。
魅力的じゃない人間の言うことなんて、子どもが聞くわけないんだよね。
で、どうなるか。
「叱る」「怒鳴る」でしか、生徒指導ができなくなる。
「昭和の指導」で育ってきた世代は、案外「力づくの指導」しかできないことも多い。
柔軟に、自分をアップデートすることが苦手。
自信がないものだから、逆に成長できない。
この意味、伝わるかな?
仕事が心から楽しめていたら、長時間労働も苦にならない。
なぜならば、仕事も娯楽の一部だからだ。
遊びの延長に仕事がある感じな。
だから、子どもたちから見て「この先生、楽しそうだな」って思ってもらえたわけ。
まあ、でも、最後は辞めたくなった。
なんか、本当に「尻拭い」みたいな仕事が増えてきた。
他の教員の粗相を、僕が拭いてまわるような感じ。
「これは僕のやりたいことではない」
そう感じた。
そもそも僕はずっと、クソみたいな教員は撲滅した方がいいと思ってきた人間だ。
教育は人が為すものだから、人がクソだったら、教室がハッピーになるわけがないと思っていた。
ただ、人間誰だって最初から完璧なわけじゃない。
僕だって最初に赴任したときは、クソみたいな教員だった。
だから、必死に学んだ。
研究会にも足を運んだし、教育書も読み漁った。
先輩ともいっぱい話をしたし、校長のお供をして著名な先生に会いに行ったこともあった。
新卒の頃、職場で遅くまで教務主任の隣で「通知表」の点検も行った。
ベテランの先生たちの通知表の初見チェックを、新卒がしていたわけね。(笑)
そんなわけで、通知表の所見の書き方を盗むことができた。
そうやって自分を磨いてきたからこそ、「できてるつもり」になっている教員を見ると、イラっとした。
で、そんなヤツの尻拭いをしている自分を知ったとき、「もう辞めてもいいよね」という許可が出せた。
「卒業のお知らせ」ってヤツだ。
話はだいぶ横道に逸れたけど。
今も好きなことを仕事にしている。
朝目覚めてから夜寝るまで、ずっと仕事をしている。
夕飯を食べて、お酒を飲んでいい気分になって、そこからまた仕事をする。
辛くないか?
辛いわけがない。
好きなことを仕事にしているのだから。
仕事はいつだって遊びの延長にあるのだ。
だいたい人間の営みなんて、そのほとんどが「仕事」だろう?
たとえば、育児。
あれだって、子どものことが大好きなお母さんにとっては娯楽だよ。
でも、「良い子に育てなきゃ、優秀な子供に育てなきゃ」ってお母さんには労働だよ。
なんか日本ってさ、労働=苦しいこと、我慢することって文化があるじゃない?
でも、これからはマジで楽しんで働く時代だと思うよ。
料理を作ることが好きで好きでたまらないシェフのいるレストラン。
料理を作ることが嫌で嫌でたまらないシェフのいるレストラン。
どっちで夕食を食べたい?って話なわけ。
だから、「仕事が辛いです」なんてメッセージがよく届くんだけど、そのたびに思うのは、「その仕事を選んだのは誰ですか?」ってことなのね。
選ぶのは自分だから。
「そんなに嫌なら辞めれば」って言いたくなるのを、ググっと抑える。
なんでもかんでも本音を書いているわけじゃない。
でも、「辛いです」と僕に言ったところで、僕はあなたの「辛い」を解消できない。
自分の課題を解決するのは、いつだって「自分自身」でしかないんだよ。
魔法の質問
どんな選択肢がありますか?