考えれば考えるほど、子育ては難しくなるんだよ。
子育てには、
「こうあるべき」
が山ほど存在する。
そういうものに、
お母さんたちは頭でっかちに、
なっちゃうんだね。
たとえば、
子どもは22時には寝るべき!
ってやつね。
それで、
子どもが22時に寝なくて、
き〜〜っ!ってなっちゃう。
なんで眠らないの?
早く寝なさい!
ってね。
そりゃ、眠れんぜ。
そもそも、22時に寝ようが、
23時に寝ようが、
そんなの大した問題じゃなくない?
それが問題なら、
大晦日を境にほとんどの子どもは
非行にまっしぐらだぜ。
そんなことに、
カリカリしなさんな。
えっと、それから…。
幼いころは「絵本を読むべき」。
でも、忙しすぎて絵本を読んであげられないよ〜!
って、お母さんも多いみたい。
でもね、そもそも絵本なんて売ってない国もあるし。
じゃあ、その国の子どもは全員、
親といい関係は築けてないのかい?
そしたら、発展途上国は、
凶悪犯罪だらけになるぜ。
「叱る」のはダメとか、
「褒める」のはダメとか。
僕らの親世代なんて、
そんなこと、
カケラも気にしてなかったんだろうな。
んで、
じゃあ僕らがそんな親世代に育てられて、
性格がクソ曲がったかっていうと、
そんなことはないでしょう?
思考で子育てをすると、
正解を求め出すんだよね。
そういう視点が、
苦しくさせるのさ。
正解を求めると、
その子育ては、
正解か不正解かという
視点でしか見られなくなる。
そんなの結果論だから、
大人に都合よく育っている子どもを育てると、
「良い子育て」なんて言われる。
成績優秀な子。
ひたむきに努力する子。
大人に従順な子。
それら大人に都合のいい子どもたちは、
「良い子」として扱われる。
でもさ、忘れないで。
一人ひとりは、ちゃんと自分の種を持って生まれてきてるのね。
アサガオの種を蒔けば、咲くのはアサガオ。
ひまわりの種を蒔けば、咲くのはひまわり。
その子の種だ咲くのは、そのままのその子だぜ。
そこに「良い」とか「悪い」とか、ないんだよね。
みんなと同じようにはできない子っているじゃん?
じゃあ、その子は悪い子なの?って話なわけ。
忘れ物が多い。
宿題ができない。
運動が苦手。
勉強ができない。
学校に行かない。
エトセトラ、エトセトラ。
それって、悪いことなの?
子育てが悪かったの?
違うよ。
それ、そのまま、その子の初期設定なんだよ。
そういうところにフォーカスすると、苦しくなるんだよ。
それはね、アサガオを見て「なんで、お前は支柱がないと、咲かないんだ!」って怒ってるようなものさ。
それはね、ひまわりを見て「夏以外にも咲けよ!」って怒ってるようなものさ。
「こうあるべき」が、僕らを苦しめるんだ。
もっと感じよう。
もっと味わおう。
魔法の質問
心地よくあるために、何を心がけますか?