人生のエンディングに何を想う?


 

昨日、父が息を引き取るのを枕元で見届けました。

2人の娘と孫、婿が駆けつけ、あと誰か話したい人は?と尋ねたら幼い頃からの親友を呼んでくれと。

そしてその親友が来るまで、苦しさに耐え、彼と話ができたのが嬉しかったのか、「ありがとう」と言葉を残し、しばらくして亡くなりました。

 

お通夜も地元のお友達がたくさん来てくれて。

友達も家族も大切にした父。

頼りすぎず、でも頼りにされ、愛された父。

尊敬とともに、私はどうやって臨終の時を過ごすのだろうと何度も考えてしまいます。

 

くれちゃんはどんな臨終の時を迎えたいですか?

 

いつか人は死にます。

この世に生まれた以上、人の致死率は100%です。

死はだれにでも平等に訪れます。

 

 

生きるということは、今この瞬間も1分1秒と、死に近づいていることを意味しています。

だからこそ、僕はいつも「死」を意識しています。

 

 

「死」を意識するからこそ、「生」を充実させようと意識します。

今日、自分が目覚めたことに感謝します。

今、目の前に家族がいる、それだけで幸せになります。

 

 

突然、死神がやってきて、

「明日、アンタ、死ぬよ」

と言われても、笑ってそれを受け入れられる生き方をしたいと思っています。

 

 

この命が尽きるまで、この命を懸命に輝かせる。

物もお金も死後の世界には持っていけないから。

ただただ、心が豊かでありたい。

 

 

生きてる間にしかできない経験をいっぱいしたい。

生きてる間にしか行けない場所にどんどん行きたい。

生きてる間にしかお話できない人たちとたくさん話がしたい。

 

 

ただ、それだけだったりします。

だから、「やりたい」と思ったことはどんどんやります。

 

 

迷っている時間だけ、命をロストしているのです。

 

 

だからでしょうか。

臨終の場面に興味がわきません。

 

 

たぶん、僕にとってそれはどうでもいいことなんだと思います。

「あぁ、終わるんだ」

それだけのことです。

 

 

「良い亡くなり方をしたいから良い生き方をしよう」とか、そういうのはありません。

たくさんの人に見守られて…、みたいな願望もありません。

ただ終わる。

それだけのような気がしています。

 

 

感謝とともに終わりたい。

そんな願いだけはあります。

 

 

さて。

 

 

だれかが亡くなると、僕らの心は悲しさと寂しさで押しつぶされそうになります。

それと同時に、「生きている」という価値に気づかされます。

「生まれてきた意味」を考えさせられます。

 

 

人の「死」に出会い、自身の「死」を意識し、「生」に目覚める感じでしょうか。

「どう死ぬか」は「どう生きるか」につながる問いだな、と思いました。

 

 

故人のご冥福を心よりお祈りいたします。

 

 

あなたに贈る魔法の質問

 その方からどんなギフトを受け取りましたか。

 

 

くればやし ひろあき

・株式会社ミナクル組織研究所 代表取締役

・フォロワー10万人の教育系TikTokクリエイター「くれちゃん先生」として人間関係や教育についての動画を配信

・1978年、愛知県生まれ。16年間公立中学校の教員として3,000人以上の子どもたちを指導。名古屋市内で最も荒れた中学校で生徒指導の責任者を務め、その後、文部科学省から上海に派遣され、当時世界最大の日本人学校であった上海日本人学校の生徒指導部長を務める。

・2018年~2019年 100人のボランティアスタッフをマネジメントして『子育て万博』を主催。

・2021年~2024年 パリコレクションのキッズ部門を日本に誘致して開催された『Japan Kids Fashion Week』において、全体計画及びキッズモデル・ボランティアスタッフのマネジメントを担当。

・経済産業省の事業再構築事業として人材分析システムCrewDocks®︎を開発。企業研修など精力的に活動中。