親が子どもを信じないで、誰が信じるんだい?


幻の遊園地計画

娘が友達6人と遊園地に遊びに行く計画を立てた。

妻は子どもだけで遊びに行くことに反対していた。

でも、それを表明する勇気はなかった。

 

 

他の親たちも同じだ。

LINE上では、「子どもだけでどうなの?」みたいな会話が繰り広げられる。

でも、子どもにハッキリと自分たちの気持ちを伝えることができずにいる。

 

 

だから、意図を放つ。

 

 

「子どもだけで大丈夫なの?」

「どんな計画なの?」

「他の親は何て言ってるの?」

 

 

そんな言葉をかけて、子どもが折れるの待つ。

そうして、1人抜け、2人抜け。

どんどん参加者が減っていく。

 

 

一生懸命調べて準備した娘はどんな気持ちだろう?と考える。

僕は娘のリクエストに応えた。

 

 

 

「どうしたら行けるかな?」というので、「必要なお金から往復の経路、時刻表、全部を調べてまとめたらどう?」と提案した。

彼女は一生懸命調べた。

僕は参加する人数分印刷し、一つ一つまとめた。

 

 

大人たちは、自分の中にある「真実」をちゃんと伝えない。

「私は子どもだけで遊園地に行ってほしくない」

「学校のルールを守らないといけない私は思っている」

 

自分の中にある「大切にしたいこと」をちゃんと子どもと共有すればいい。

 

 

僕は「その人がその人らしく生きること」が大切だと思っている。

人生は遊び場。

やりたいことをやればいい。

 

 

 

だから、子どもの「やりたいこと」にだって、精一杯寄り添いたい。

 

 

そりゃ、僕だって心配だよ。

子どもの身を案じない親などいるもんか。

でも、僕が安心を手に入れるために、子どもの興味関心を削ぐのはいかがなものか。

 

 

子どもの人生で、親が安心感を得てどうするよ?

僕はそう思う。

 

 

僕は我が子を信頼している。

いつもいつも、「きっと、あなたは大丈夫」と信じている。

 

 

もちろん子どもだから、「経験値の乏しさ」がある。

その「経験値の乏しさ」を埋めるのが親の役割。

だから、一緒に調べてやり、必要なものは買いに出かける。

 

 

 

結局、遊園地計画は中止となった。

「ほら、あの子も行けないんだって」

「ほら、この人数じゃ危ないわよ」

なんてやりとりが繰り返されたのだろう。

 

 

「信じる」ということの正体 

こういう子どもとの関わりが、子どもからパワーを奪うのだ。

人間は受容されると器が広がる。

その中にエネルギーを貯めて、世界に働きかける。

 

 

では、なぜ子どもを信頼できないのだろうか。

答えは出ている。

 

 

親たちもまた、信頼されて育てられてこなかったのだ。

こういう負の連鎖がそこらじゅうの親子関係で起こっている。

 

 

「私は信じられている」

 

 

この実感がこの世界を生き抜くうえで大切だ。

僕らはみんな、社会的存在である。

人との関わりの中で生きている。

 

 

その最初の関わりが母親(もしくはそれの代わりになる人)との関わりだ。

 

 

赤ちゃんは、ハイハイを始めると、親から離れて遊び出す。

その赤ちゃんの行動を、愛おしく思いながら、じっと見守る母親の存在が、赤ちゃんに大きな安心感を与える。

 

 

反対に、振り返ったとき母親(もしくはそれの代わりになる人)がいなかったとき、赤ちゃんは非常に強い不安を感じる。

心理学者のマーガレット・マーラーは、この子どもの感情を「見捨てられ不安」「見捨てられ抑うつ」と呼んだのである。

 

 

好き勝手なことをしていながら、「振り返れば必ず自分を見守っている人がいる」という育て方をされた子ども。

「振り返ったときに、見守ってくれている人がいないことが多い」環境で育った子ども。

その二人を比較した場合、その後の発達に大きな違いが見られるそうだ。

 

 

経済成長を続けた時代。

日本はどんどん核家族化されていった。

女性が社会進出し、晩婚化が進み、親たちもまた子どものころ、そのまた親たちにじっくり見守られて育つ時間がもてなかったのかもしれない。

 

 

 

だから、親たちを責めるつもりはない。

今からでも遅くないのだ。

子どもを心から信じてみる。

そのために、自分自身をまず信じる。

そういうことからスタートするといい。

 

 

娘はこの「みんなが遊園地に行かないことを選択した」という事実をどう受け止めるだろうか。

そして、そのことから何を学ぶだろうか?

 

 

彼女はきっと、そのことを悲観的には受け止めないだろう。

なぜなら、すでにそれを受け止めるだけの器ができているからだ。

 

 

「みんな裏切ったのね。ひどいわ。私、嫌われてるのかしら」とはならない。

どこまで器を広げてあげるか。

それは、親ができることだと思う。

 

 

「学校に行かない選択」を間違えてはいけない

子どもが「学校に行きたくない」と言う。

「いいのよ、行きたくないなら行かなくて」と答える。

それを全受容だと勘違いしている。

 

 

子どもが学校に行かないことにモヤモヤする。

本当の気持ちにフタをしてしまうからだ。

 

 

そんなお母さんが僕のブログを見て、「ほら、元学校の先生も行かなくていいって言ってるよ」なんて言ってみたりして。

それは、「ホントの自分」ではない。

 

 

あなたの中には「子どもに行ってほしい自分」がいて「学校に行くのはOKで、学校に行かないのはダメ」と思っている自分がいる。

そんな自分の中の「ホントの自分」を無視するからモヤモヤするのだ。

 

 

あなたがもし、心の底から学校に行かなくても大丈夫だ!と思えているのならいい。

あなたはモヤモヤなどしないはずだ。

 

 

でも、あなたが本当は「学校に行った方がいい」と思うなら、その「ホントの自分」を受け入れる必要がある。

そして、リクエストする。

「お母さんは学校に行ってほしいと思っている」と伝える。

 

 

そのうえで、「私はあなたのどんな選択も応援する」と伝える。

ここに意図は放たない。

「学校に行く」を選ぶように仕向けたりしない。

 

 

フラットに。

自分の在り方を整える。

 

 

 

僕は子どもを信頼している。

だから、どちらの選択をしても、きっとこの子は大丈夫だ!と信じている。

結局、「受容する」ということは、「なんでもOK」ではなく、存在そのものを認めることから始まるわけだ。

 

 

受容とはつまり、「ありのままの自分」を子どもに表現できることだと思う。

そして、それを知ったうえで、子どももまた「ありのままの自分」を表現できることだと思う。

「関係性を整える」とはそういうことだ。

 

 

この世界は鏡だから。

信じれば信じられる。

愛すれば愛される。

 

 


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くればやし ひろあき

・株式会社ミナクル組織研究所 代表取締役

・フォロワー10万人の教育系TikTokクリエイター「くれちゃん先生」としても活躍中。人間関係や教育についての動画を配信

・1978年、愛知県生まれ。16年間公立中学校の教員として3,000人以上の子どもたちを指導。名古屋市内で最も荒れた中学校で生徒指導の責任者を務め、その後、文部科学省から上海に派遣され、当時世界最大の日本人学校であった上海日本人学校の生徒指導部長を務める。

・互いの「ものの見方や感じ方の違い」を理解し合うことで、他者に寛容な社会を実現したいと願うようになり、2017年独立。

・独立後は、教員時代の経験を活かし、全国の幼稚園や保育園、学校などで保護者向け講演や教職員研修を行う。2018年・2019年には、100人のボランティアスタッフを束ね『子育て万博』を主催。今年10月にパリコレクションのキッズ部門を日本に誘致して開催された『Japan Kids Fashion Week2021』において、全体計画及びキッズモデル・ボランティアスタッフ総勢150名のマネジメントを担当。

・2020年11月、「スタッフみんなが、明日も生き生きと来る!」を理念に、株式会社ミナクル組織研究所を設立。経営者、教職員、スポーツ指導者など、組織のトップや人を指導する立場の人たちから依頼を受け、人間関係づくりやチームづくりに関する講演や企業研修、教職員研修を行っている。経済産業省の事業再構築事業として人材分析システムを開発中。