いつまで誰かのせいにして生きるのですか?
「私」というひとりの人間がいます。
その前には、「世界」が広がっています。
僕らはこの「世界」と関わることで生きています。
今日はこの「世界」とどう関わるか、というお話です。
多くの人は受動的に生きています。
「世界」からの働きかけに反応して生きています。
「主体的に生きる」とは?
多くの人は、「希望のない」状態か、「あやまった希望」のもとに生きています。
ここでいう「あやまった希望」とは「だれかがなんとかしてくれないだろうか」と考えていること。
つまり、だれかが自分に答えを出してくれたり、自分に必要なものが外部から与えられると思っていることです。
テリー・コール・ウイッタカー 著
『私がわたしを生きる本』
(KKベストセラーズ)
あの人にこんなことをされた。
あの人にこんなことを言われた。
「世界」が自分に「働きかけてくる」という視点です。
今の自分が不幸なのは、あの人が悪いからだ。
あの親が悪いからだ。
こんな学校が悪いのだ。
こんな社会が悪いのだ。
いつもいつも「犯人探し」をしています。
主体的にこの「世界」に働きかけようとせず、いつも飢えています。
こういう人は、反応することしかできません。
快か不快か。
反応だけで生きているのです。
置かれた場に不平不満を持ち、他人の出方で幸せになったり不幸せになったりしては、私は環境の奴隷でしかない。
人間と生まれたからには、どんなところに置かれても、そこで環境の主人となり自分の花を咲かせようと、決心することができました。
それは「私が変わること」によってのみ可能でした。
渡辺和子 著
『置かれた場所で咲きなさい』
(幻冬舎)
世界からの働きかけに反応して生きる。
これは、もはや「環境の奴隷」です。
変えられるのは自分だけ。
コントロールできるのは自分だけ。
それなのに、それなのに。
自分の人生をハンドリングする権利を手放し、いつも環境に左右されて生きるのです。
周囲の言葉に反応して感情を選び、周囲の言葉に反応して行動する。
これはもう、奴隷でしかありません。
怒りを表現してばかりの人は、自分が「怒り」を選択していることに気がつきません。
あの人が私を怒らせたのだ!と信じています。
でも、忘れないでください。
この世界を創造しているのは「自分」です。
心を満たす方法は2つあります。
「人に満たしてもらう方法」と「自分で満たす方法」です。
多くの人は、誰かに満たしてもらおうと思ってしまいます。
《中略》
もちろん、満たされないよりは、 最初をこれでもいいのです。
しかし、このままでは、常に「誰かに何かをしてもらえないと、自分の心が満たされない」という状況に陥ります。
外的要因の満たし方は、依存になりやすいのです。
マツダミヒロ 著
『質問は人生を変える』
きずな出版
だれかが何かをしてくれない。
周囲の人は自分を理解してくれない。
この「くれない」を感じているならば、すでにあなたは周囲に依存していると思っていただいて結構です。
人は一人では生きていけません。
だから、助けてもらうことは大切です。
でも、「助けてもらう」ということと「依存する」ということは違います。
「助けてもらう」とは、相互の関わり合い、エネルギー交換です。
「助けてもらう人」と「助ける人」がいます。
一見、「助けてもらう人」は「助ける人」からエネルギーを奪っているように見えます。
でも、本当は違うのです。
「助ける人」もまた、「助けてもらう人」からエネルギーを受け取るのです。
それが「感謝」というエネルギーです。
実は、依存する人には、この感謝のエネルギーがありません。
言葉で「ありがとう」と言っても、本音を響かせていないのです。
だから、人が離れていくのです。
変わることができる人はどんな人?
お母さんのための学校passion life college。
ここは、お母さんが「私」に還る場所です。
変えられるのは自分だけ。
この世界を創造しているのは「あなた」。
その感情も、その行動も、その現実も、選んでいるのは「あなた」です。
そういうことを腹に落としたお母さんから変わっていきます。
ちゃんと変わるのです。
もちろん、「環境の奴隷」であるうちは、何も変わりません。
いっしょに学び、いっしょに過ごすうちに少しずつ少しずつ変わります。
その変化に立ち会うことができるのが、何よりの喜びです。
「もう、半年前の自分が思い出せません」というお母さんがいます。
「新しい仕事が決まりました」というお母さんがいます。
「夫と仲良くなりました」というお母さんがいます。
僕はそれを聞くたびに、PLCをスタートしてよかったなぁと心から思うのです。
では、彼女たちの何が変わったのでしょうか。
それはね、「主体的に生きる」ということを選んだからです。
感情も行動も選んでいるのは自分であることを理解し、「主体的に生きる」という選択をしたのです。
もちろん、心が落ち込むこともあります。
涙することもあります。
それでいいのです。
主体的に生きるお母さんは、そんな自分を、少し離れた場所から客観的に眺めることができるようになります。
「今、悲しんでる自分がいるなぁ」
「心が反応している自分がいるなぁ」
そうやって、ワンクッション置いて自分と向き合うことができます。
そして、その責任がすべて自分にあることも理解しています。
だから、人生が動き出すのです。
一方、「変わりたい」と口にしながら、変われない人もいます。
それはなぜでしょうか。
答えは簡単です。
本当は「変わる気」がないからです。
「変わる」とは、どこまでも自分と向き合う作業です。
「主体的に生きる」と決めた瞬間、あなたはもう、現実を誰のせいにもできなくなります。
これは、とても怖いことです。
誰かのせいにできない。
親のせいにも、学校のせいにも、旦那のせいにもできない。
目の前にある現実の責任は、すべて「あなた」にあります。
そのことを腹に収め、覚悟を決めたお母さんだけが変わります。
これは簡単なことではないのです。
おさらいします。
現実を作り出しているのは自分です。
それは重い現実です。
でも、それを受け止めずして、人は前には進めません。
人が成長するのは、困難を受け止め「自分を変えよう」と、あなた自身が望むからです。
まず、自分を「受け入れ、認め、ゆるし、愛する」ことから始めなければなりません。
誰もあなたを変えてくれないのです。
変えるのは、あなたなのです。
「変えられるのは自分だけ」とはそういう意味なのです。
あなたに贈る魔法の質問
この現実の責任は誰にありますか?