「見えるもの」だけを見るな
下着の色を指定する校則が話題になった。
「トンデモナイ校則だ!」と
怒りを覚えた人も多いだろう。
多くの人は、
見えている世界だけで
ものを考える。
そこで想像力を働かせる。
そういう、
「一歩立ち止まって考える力」が、
この世界には欠如している。
以前、
猫ひろしさんがカンボジア国籍を取得して
マラソンでオリンピックを目指すと公言したとき、
多くの人が批判した。
僕は面白い反応だなぁ、と思った。
猫ひろしさんは、
オリンピックを目指す。
ただ、
それだけだ。
がんばれ!
それでいいじゃないか、
と思った。
なんで、
イチイチ、イチイチ、
批判するのだろう?
政治家の不倫問題。
みんな一斉にいきり立つ。
そんなにみんな、
政治家に「道徳的な何か」を
求めていたのだろうか。
有権者を裏切った?
だったら、
このなんとも言えない閉塞感を
生み出していること自体が裏切りであり、
不倫なんぞ、
俺たちにはどうでもいいニュースじゃね〜か?
とすら思う。
そんなわけで、
僕らは「見えている世界」に
反応し、
心を揺り動かされている。
怒ったり、
悲しんだりして、
心に振り回されるけど、
何一つアクションを起こさない。
さてさて。
それで、
下着の色を指定する校則が話題になった。
下着は白!
トンデモナイ校則だ!
そこまで学校が口を出すのか!
と怒りを感じた人も多いだろう。
僕はなんとなく、
その校則ができた背景が理解できる。
この背景こそが、
「見えない世界」だ。
この「見えない世界」を見るためには、
想像力が必要なのだ。
その昔、
アホみたいにド派手な下着をつけてくる
女子生徒がいた。
シャツ1枚に派手な下着。
胸元を開け、当然透けて見える。
女性教諭の制止にも耳を傾けず。
そんな姿の女子生徒がいれば、
当然思春期の男子生徒は敏感に反応する。
大人の僕が見ても、
「もうちょっとなんとかならんかね…」
と思う身だしなみだった。
また、そういう子がいると、
2線級の「お前、1人だったらやれね〜だろ?」的な子が
マネをし出す。
これは、
学校の先生の立場で言うと、けっこう厄介だ。
この手の生徒は、
「◯◯さんはいいんですか?」と
すぐ口にする。
まあ、
僕はそういうの、
一蹴しちゃうタイプの教員だったけれど、
ほとんどの先生は違う。
案外、「ルールですから」といった指導でないと、
子どもと対話ができない大人が多いのだ。
(だから、すぐにルールを作ろうとするわけだが)
そんなわけで、
「下着の色を指定する校則」
が生まれたんだろうなぁ…と想像する。
僕はその校則を肯定したいわけではない。
時代に合わないのであれば無くせばいい。
ただそれだけのことだ。
だが、見えない背景は押さえておく必要がある。
以前、こんな生徒がいたからこのルールができた。
本来、こんなルールは必要ないはずだ。
色は指定しないけど、節度は守ろう。
そんな約束がなされれば、問題など起こらない。
つまりは対話だ。
大人と子どもが心を通わせ、対話できる関係性を築くことが先なのだ。
「見えるもの」だけを見てはいけない。
大切なことは、いつだって「見えないもの」の中に隠されている。