「世界は一つだ」と子供たちが教えてくれた♬
日本には陸続きの外国がありません。
ですから、身近に外国人を感じることもありません。
海外を旅すると、誰がその国の人で誰が外国人なのか、一目ではわかりません。
言語の壁がないため、そもそも「どの国の人」という概念すらないような感じがします。
僕らで言うと、
「僕ら、愛知県民です」
「へ〜。うちら関西人やねん」
みたいな感じです。
上海で3年間暮らしました。
でも、子どもたちの生活はあまり日本と変わりませんでした。
よく勘違いされるのですが、日本人学校は日本の小中学校と変わりません。
日本の教科書を使いますし、日本人の先生が授業をします。
多少、国ごとに異なるカリキュラムもありますが、ほぼ変わりません。
たとえば、上海の場合、現地校との交流があったり中国語や英会話の授業があったり、といった感じです。
ただし、日本のように職場体験みたいなものはありません。
子どもたちは日本語オンリーで暮らしてきました。
ですから、残念ながら中国語は今も話せません。
思うに、「その場に身を置く」が大事なのだと思います。
必要に駆られて学ぶ、というのが僕らにはあると思うのです。
いくら「これからは英語よ」と言われても、ほとんどの子どもはピンと来ないのが実情です。
「グローバルだ!なんだ!」と言って不安を煽ってもね、仕方がないのです。
親がいくら娘に「早く結婚しなさい」と言っても、娘は焦りません。
娘が焦るのは「友人の結婚式」だけ。
そのたびに、結婚に対するモチベーションは上がります。
なんか、変な例え話ですが。
「必要に駆られる」って重要です。
身近に外国人がいないのです。
街中で見かけるのは中国人ですし。
「英語!英語!」と言われてもピンと来ない。
これって、仕方のないことだと思います。
今、来ているプーケットのリゾートには、様々な国の子供たちがバカンスに訪れています。
子供たちというのは、言語が伝わらずとも友達になれてしまいます。
もちろん、一緒に過ごすうちに「もっと相手のことを理解したい」という思いが湧き上がってくることでしょう。
そうやって「コミュニケーション」に対するモチベーションが上がったときに、自らの意思でもって学べば良いのです。
子供たちを見ていると、世界は一つだと感じます。
大人たちは国と国を分断し、そこに物理的な境界線と心理的な境界線を設けます。
あの人たちは何人(ナニジン)で、この人たちは何人(ナニジン)と。
でも、子供たちにはそれはありません。
「Where do you from?」とは聞いているけれど(笑)
ノリは
「私たち、セントレアから来たよ」
「僕らは関空さ」
みたいな感じ。
同じ地球人。
ただ生まれた場所が違うだけ。
暮らす場所が異なるだけ。
そんなノリですね。
大人はもっと子どもから学んだ方がいい。
そんなことを感じました。