親と子に、上とか下とかないんだよな。
先日、妻が「どうしても行きたい講演会がある」と言い出したわけ。
講演会には、「家族で行きたい」なんて言うのだよ。
「子どもたちにこそ、聞いてもらいたい」んだとさ。
ところがさ、子どもたちは行く気ゼロなの。
「講演会?聞きたくね〜!」って感じね。
まあ、そりゃそうだろうね。
中学生、小学生、幼稚園児。
「講演会行く?」って聞かれて「行きます!」って子は少ないと思うよ。
でね、「行くのも、行かないのも子どもの選択で、それは親として認めるべきだと俺は思うね」って話をしたの。
んで、妻はね「いや、この講演会は子どもたちのためになるから一緒に行きたい」って言うわけ。
でもさ、それって、勉強したくない子どもを学習塾に行かせるのと、発想はあんまり変わんないわけよ。
親が価値を感じるものを、子どもに押し付けるわけでしょ?
ちょっとメンドくさいよね、そういうの。
「私、痩せたくない」って言ってる人をライザップにぶち込む感じね。
「牛乳が嫌いな子」をいつまでも教室に残して、牛乳を飲ませる「牛乳星人」の先生と一緒ね。
だからね、「一緒に講演会を聞きたい」はエゴだと思うの。
「一緒に聞きたい」「時間を共有したい」なら、この子が「聞きたいこと」「やりたいこと」を一緒に共有すればいいわけだもん。
早い話、「一緒にディズニーランド行こうよ」って言えば、子どもたちは必ずついてくるよ。
「子どもと共有したい」の奥にあるニーズ。
そこはやっぱ自分が良いと思うものを、良いと思ってもらいたいってのがあるのね。
それって、エゴだよなって思う。
価値観の押し付け。
しかも、講演会は東京!
東京まで講演会を聴きに行く。
ま〜、子どもたちが「え〜っ!めんどくさ〜い」となるのもわかる気がするんだ。
だって、運転させられる僕が一番「めんどくせ〜〜!」って思ってたもん。
東京まで運転して、講演聞いて、また名古屋まで運転する…。
いや、もう100%面倒臭いもん。
そんなわけで、東京行きは中止。
彼女は地団駄踏んで悔しがったらしいよ。
そしたらさ、今度は伊勢で「子どもサミット」なるイベントがあったの。
こちらも、講演会。
キングコング西野さんが来るって言うんで、僕は「行ってもいいかな?」って思ったのね。
まあ、それに伊勢への往復なら、我慢できる距離かな…と。
で、やっぱり妻は「家族みんなで行きたい」と言うわけ。
で、子どもたちは「え〜っ!講演会?ヤダ〜」となるわけ。
くればやし家のキム◯ョンイルと呼ばれてる僕。
I am 独裁者♡
子どもを実家に預けて、夫婦で行くのもありかな、とは思ったんだけどね。
俺、妻を愛してるから♡
彼女の願いを叶えたい。
んで、子どもたちに伝えたわけ。
「ここは、俺たちに付き合え」ってね。
お前たちの選択も認めてんだから、ここは親に付き合えってね。
俺、独裁者だから♡
伊勢のおかげ横丁で好きなもの買って、美味しいものも食べて。
まあ、そういう部分もあるから付き合えよって。
それでも「イヤだ!」って言うなら、あきらめようと思ったけどさ。
「じゃあ、付き合うよ」って。
「そのかわり、なんか買ってよ」みたいな感じ。(笑)
なんでもかんでも、子どもの選択を認めようとは思わない。
家族なんだから、そこは付き合おうぜ、みたいなのもあっていいと思う。
子どもの言うことも100%聞いてやる必要はない。
50%聞いてやるから、お前らも50%は聞けよ、みたいな感じね。
対等だよ、対等。
聞いてやりたい部分は聞くし、聞きたくない部分は聞かない。
そんな感じが楽でいいと思うね。
家族なんだし。
まあ、家族っていうかチームだよね。
そういう在り方が僕は好きなの。
親の言うことが絶対!とは思わないし。
かと言って、子どもに媚びようとも思わない。
関係性はいつだって50対50。
対等な感じでいいんじゃないの?って思う。
子どもとつながる問いかけの魔法
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