家庭における夫の役割
だいたい男親というものが、子育てに口を出すとロクなことがありません。
やれ目標だの、やれ結果だのを求めるのは、家庭的とは言えません。
子育ては愛情がすべてです。
母性が生み出す深い深い愛情で、子どもの心を満たせばよい。
それが最も大切なこと。
それは女性が得意としていること。
男にできることは、母親がその深い愛でもって子どもを包み込めるように、後方支援をするのがよろしい。
「時に厳しさも必要」などと申す者もおります。
その厳しさが母親に向いてはいないかと危惧するのです。
厳しい言葉がけが、本当にこの子の心に届いているか、よくよく吟味する必要があるでしょう。
ただ厳しいだけの存在など、子どもにとって不要のもの。
おまけを通り越して、ゴミです。
粗大ゴミです。
父親の厳しさが必要なとき。
それは妻を守るときだけ。
子どもが母親に暴言を吐く。言うことを聞かない。手をあげる。
そんなときは、ど叱ってしまえば結構。
愛する者が守れずして、それが男ですか?
お父さんにとって、一番大切な人はお母さん。
お母さんにとって、一番大切な人はお父さん。
だから、あなたたちも人生の伴侶を見つけるのですよ。
それでよいのです。
勉強がどうの。
宿題がどうの。
人間関係がどうの。
そんな小さなことをいちいち申す必要などないのです。
言葉ではなく、その背中で教育をすればいい。
子どもたちは、あなた方の生き様を見て大人になるのですから。
彼らが一番見ている「大人のロールモデル」が父と母です。
お母さんが愛情いっぱいに育てれば、愛に溢れた子どもが育つもの。
子どもは甘やかしてはいけない?
誰が甘やかせろと言いましたか?
愛情をかけることと甘やかすことは違います。
物理的に満たしたり、お願いごとをなんでも叶えてしまうのが甘やかすということ。
そんなものは愛でもなんでもない。
そうではありません。
この子の存在そのものを慈しむことです。
生まれてきたことに感謝し、そこにいるということに感謝する。
そんな気持ちで接すれば、愛情は自然と伝わるものなのです。
あなた自身が愛されて育ってきたならば、そういう感覚は自然にわかるものです。
もしもそうでなかったとしても、その感覚は取り戻すことが可能です。
今一度、誰かに大切にされたり愛された経験を思い起こしてください。
お母さんはただ子どもを愛すればいい。
妻が子どもをただ愛することに専念できるよう、夫は妻に寄り添えばいい。
ただそれだけのことなのです。
生まれた場所も育ってきた環境も違う二人。
生物として見たとき、僕らは真逆のDNAを選ぶのだそうです。
種を保つための本能とも言えます。
ですから、赤の他人である夫婦が一緒に暮らすということは、それ相応の覚悟が必要なのです。
そうは言っても最愛なる他人。
愛し合って夫婦となったのです。
互いに少しずつ折り合いをつけていく。
そういうことが大切です。
どちらかの我慢でもって、夫婦関係を成立させる。
そのようなことは不可能であり、いつかは破綻します。
たとえば、こんなゲームを紹介しましょう。
家庭におけるすべての役割を「100」とします。
お金を稼ぐ、ということから、炊事、洗濯、家事、育児。
それに冠婚葬祭、親戚付き合い。
とにかく、ありとあらゆる役割を寄せ集めて「100」とします。
そのとき、あなたが担っている数値はいくつでしょうか?
当然、あなたとパートナーのはじき出した数値の合計は「100」にならねばなりません。
すると、面白い現象が起こります。
うまくいっているご夫婦というのは合計値が「100]を下回る。
うまくいっていないご夫婦いうのは合計値が反対に「100」を上回ってしまうのです。
配偶者への感謝を忘れず、「あの人はよくやってくれている」と感じているご夫婦ほどうまくいきます。
一方、「こちらはこんなにやっているのに、あの人は何もやってくれない」と感じている夫婦ほど難しい関係になっています。