心が折れやすい「私ってすごいんです」の人
やたら「私ってすごいんです」って話をする人がいる。
僕はその人の言葉にじーっと耳を傾ける。
いかに自分が素晴らしい人間であるかを滔々と語るのである。
決して自慢話ではない。
事実であるのだけど、何かが違う。
僕はこの人は何が満たされていないのだろう?と考えてみる。
やはり、「わかってほしい」なのだろう。
「認めてほしい」かもしれない。
「理解してほしい」のだろう。
本当に「すごい人」は、自分のことを「すごい人」とは言わない。
「幸せな人」がわざわざ「幸せ」とは言わないように。
言語に僕らは引っ張られるけれど、その奥にある「本当の姿」に目を届かせたい。
この、「私ってすごいんです」という人は、自己効力感が高い。
自分には素晴らしい能力があると信じている。
しかし、他者に認められたり感謝されたりする経験が乏しい。
自分に対して厳しく、失敗を許容できない。
だから、他者の失敗に対しても厳しくなる。
従って、意見の衝突も多くなる。
どこかで孤独を感じ、だからこそ、他者が耳を傾けたときには嬉々として「私ってすごいんです」という話をしてしまうわけだ。
能力がある。
だが、失敗に対する許容量が少ない。
いわゆる「遊び」の部分がないのである。
こういう人は、失敗に弱い。
能力があるため、失敗は恐れない。
そのうえ、失敗を受け止める余裕がないのだ。
うまく行っているうちは良いのだけれど、ひとたび転んだら、なかなか立ち上がれないようなダメージを受ける。
しなやかさがない強靭さは、実はポキリと折れる諸刃の剣なのである。
「私ってすごいんです」モデルの人に必要なのは「許される経験」である。
失敗を許される経験をさせてあげたい。
また、他者との協働作業や感謝される経験をするのも良い。
「私ってすごいんです」という話をただ聞くだけというのは避けたい。
これは本人を追い込むことになる。
大風呂敷を広げ過ぎて、今後の活動のハードルを高くしてしまうのは良くない。
話半分で聞いてあげれば良い。
余裕のない人なのだから、接する人こそ、余裕をもちたいところ。
間違っても、詰めてはいけない。
追い込む事になるのだ。
強い人を弱いということを心に留めておきたい。