エピソードで語る力〜あなたの人生に黒歴史なんてないんだぜ〜
触れたくない過去のことを「黒歴史」と呼んだりする。
僕には、そんな過去がない。
7月11日に上梓する拙著『自走する組織の作り方 統率力不要のリーダー論』(青山ライフ出版)には、たくさんのエピソードが登場する。
僕が頭の中で捻り出した僕の考えを述べているのではなく、僕が経験したことをありのままに書き綴り、そこからの気づきをシェアする形で展開している。
僕の考えが正しいわけではなく、そのエピソードから読者が独自の見解を持ってくれたらそれでいいと思っている。
ある経営者さんが、僕の講演を聴いて、こんなコメントをくれた。
「彼のエピソードトークはすごいです。
バリエーションも豊富だし、その数も半端ないので、伝えたい内容に合わせて、うまくエピソードを使い分けられます。
そのおかげで、彼の話は、聞く人にズバッと響くのでしょう。
でも、辛いことや苦しかった経験も、きちんと自分の中で消化して、エピソードに昇華させてるところがすばらしいなと敬服しています。」
僕は、僕の考えを伝えるのが苦手だ。
「こういうときはこうした方がいいんですよ」
という話をしてしまうと、それはいつの間にか
「そうするべき」
という形で伝わってしまう。
それで僕は、いろんな講演会をしているうちに、一つの形にたどり着いた。
それは舞台上で、その場面を演じること。
わざと声色を変えたり、役柄によって立ち位置を変えたりして、舞台上で演じているように話す。
実は、これをやるせいで、僕は舞台ではなく、床で講演をさせてもらっている。
単純に、舞台から落ちそうになるからだ。
そのうえ、演台も撤去してもらう。
邪魔なのだ。
で、僕はわかりやすく演じることで、エピソードを伝えていく。
そして、最後にここからの学びをみんなにシェアする。
そういう僕のスタイル上、僕の人生に「黒歴史」というものは存在しない。
過ぎ去りし過去はすべて、美味しく熟成したコンテンツなのである。
それは時にブログのネタになり、時にTikTokのネタになり、時に講演会のネタになり、時に書籍のネタになる。
誰もが情報発信できる時代になって、経験は美味しいコンテンツでしかなくなったのだ。
たまに、Facebookで人が書いたつまらないブログを読んでみる。
なぜ、このブログはつまらないのか、と考えてみる。
すると、結局は経験が書かれていないのだと気づく。
紡ぎ出された言葉には、厚みというものがある。
経験を通して語られた言葉と、頭の中で紡いだだけの言葉では、その厚みが違う。
年齢を重ねれば重ねるほど、経験は積み上げられ、厚みのあるエピソードが増える。
経験で語る、はとても大切なことなのだ。
よく子どもたちの読書感想文の指導をするとき、「あらすじ」を書いてくる子がいる。
「あらすじ」を先生は読みたくないのである。
なぜなら、本の内容は、あなたに聞かされなくても、その本を読めばわかるからだ。
では、僕が何を読みたいかというと、その本を読んでいる君は何者だい?を読みたいのだ。
その本に関わる君のエピソードはなんだ?を知りたいのだ。
ブログで自分の考えを語るならば、その考えに至ったあなただけの経験があるはずなのだ。
本を読んで学んだことを書く。人の話を聴いて感じたことを書く。
そういう文章は薄っぺらくつまらない。
あなたを突き動かす経験で語りたいのである。
僕はいつも経験で語っているし、それしかスベを持たない。
経験で語れば、自分の人生が特別なものに見えてくるから不思議だ。
だって、あなた以上にあなたの人生を知っている人間はいないのだから。
そして、そういう視点で人生を眺めたとき、「黒歴史」なんてものは存在しないことに気づく。
「黒歴史」があるのだとしたら、それはまだ、人生を味わい尽くしていない証拠なのだ。