「今年は最悪の運気です」と言われたときの処方箋
良いことが起きると自分の力だと勘違い。
そのくせ、悪いことが起こると運気と結びつけ、「運が悪かった」と口にします。
あなたを取り巻く人たちの、おかげさまで生きている自分を忘れ、感謝を忘れてしまいます。
ありとあらゆる自己啓発が「ありがとう」を大切しているのは、つまり人間という生き物は「感謝を忘れる生き物だよ」ということの証明でして。
「ありがとう」の語源は「有り難し」。
「とても珍しい」の意ですから、大昔から人間は感謝を忘れ傲慢になりがちな生き物だったことがわかります。
良いことが起これば、「運がよかった」と手を合わせ、悪いことが起これば「次はどうしようか」と自問自答してアップデートする。
そういう生き方が「運の良い人」を生み出すわけです。
僕は今年で45歳。
どっぷり厄年の間、取り立てて何かを「ご祈祷」的なことはしませんでしたし、特別な何か身体的不調が起こることもありませんでした。
いや、もしかしたら、何かが起きていたのかもしれません。
でも、「厄年」ということを意識していませんでしたので、記憶に残っていないのです。
「運気が悪い」「運気が悪い」と思うほど、起きた事実を運気と結びつけて考えてしまいがちです。
そうすると、「私は運が悪い人だ」という自己認識になります。
駅のホーム、鳴り響く電車のベル。
急いで飛び乗ろうとした瞬間、目の前で扉が閉じる。
「駆け込み乗車はご遠慮ください」というアナウンスが聞こえてくる。
(あぁ、、なんて自分は運が悪いんだろう、、)と思ってしまう。
なんてことはない。
ただ、発車時刻に間に合わなかっただけです。
「運のいい人」は、(次の電車に乗ればいいや)と次の行動に意識が向いています。
でも、「運の悪い人」は電車に乗れなかったことにクヨクヨします。
この、「今さらどうしようもないこと」に引きづられる人は「運の悪い人」と言えます。
要するに、「運が良い」「運が悪い」なんてものは完全に主観なわけです。
同じことが起きても、「運が良い」と思う人がいて、「運が悪い」と思う人もいる。
ただそれだけのことなのです。
会社の名前を決めるとき、画数で会社どうなるかを占うサイトがありました。
そういうことは、気になるととことん気になる性分でして。
「こんな名前はどうかな?」
「あんな名前はどうかな?」
といろんな名前を入力しては、「その会社はこうなりますよ」というのが表示されるんですね。
運の良い名前もあれば、運の悪い名前もあるわけです。
それで、その画面の下の方にですね、その画数の現在する会社名が並んでいたんですね。
驚きました。
いろんな上場企業の名前が最悪の画数なんです。
それで僕はむなしくなってしまいました。
くだらないことに時間を使ったな、と思いました。
結局のところ、会社が成長するか否かは、名前ではありません。
ビジネスモデルであり、経営者である僕の経営判断です。
時流に乗るかは大切ですが、名前に左右されるわけではないのです。
ですから、運気なんてものは良いところだけ見ていくのが良いんです。
毎朝、テレビ番組で「今日の運勢」なんてものを見てですね、「今日は運が悪い」とか「ランキングが最下位だった」とか見てから出勤する、なんて方がいるわけです。
そうやってあまり気にし過ぎるのは良くない。
人生の大きな流れを感じ、今年のテーマ、今月のテーマぐらいを決めておく。
そのぐらいがちょうど良いと思います。
「厄年」だとか、「天中殺」だとか、「大殺界」だとか、とかくおっかない言葉を並び立てられると、なんだかとんでもない不幸が訪れそうですが。
そういうのは、夜道をお散歩する前にホラー映画を観るようなもので、心を「悪いこと」にフォーカスさせてしまう効果しかありません。
良いことが起これば「運が良かった」と感謝し、悪いことが起これば「では、どうする?」と自問自答する。
これが自分を陽転させる秘訣ではないでしょうか。
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