どうしたら人から信頼されない人間になれますか?
人間は失敗する生き物です。
人間関係にしろ、仕事にしろ、小さなミスは誰にだってあるものです。
取り返しのつかないような失敗もあるでしょう。
決定的に人間関係を壊すような地雷を踏んでしまうこともあるでしょう。
それはある意味では避けては通れないことです。
でもね、大事なのはここから。
人は失敗する生き物だからこそ、その失敗をどのように処理するかで、他者からどれだけ信頼されるかは変わるのです。
失敗しないような完璧な人間はいません。
ですから、すべての人は失敗します。
そして、失敗したときの姿で、その人は信に値する人間かを見極めるというのです。
なるほどな、と思いました。
昔、ネットリテラシーのカケラもないようなことをSNSでする人がいました。
その人は自分の気に入らない人間の顔や名前、住所などをSNSで晒しました。
常識的に考えて、ありえないことです。
当然ですが、関係する多くの人が苦言を呈しました。
しかし、その人は自分を諌めてくれる人の声を聞き入れることができませんでした。
やったことはよくないことです。
それでも人間は失敗する生き物ですから、そこで改めることができれば良いのです。
でも、そこで悔い改めることができなかったわけです。
人の器はそういうところに現れるものです。
ある経営者さんは、これまでのお客様を切り捨てるような決断をしました。
それはこれまでの契約を反故にして、新たなルールを科すことでした。
それはお客様にとって、明らかに不利益な内容でした。
当然ですが、お客様の心は一斉に離れていきました。
やはり、それに対して苦言を呈する者がいました。
でも、その人もまたそんな諌める声に素直に耳を傾けることができませんでした。
先日、ある女性とカフェでおしゃべりをしていまして、「人間は失敗する生き物だから、人って無意識にその人が失敗した後にどういう処理をするかを見ているんだよね」と話しているのを聞いて、こんな話を思い出した次第です。
ありがたいことに、失敗すると諌めてくれる人が現れます。
そういう人がいることは幸せなことです。
真摯に受け止める。
素直に耳を傾ける。
そんな人間でありたいものです。
何より恐ろしいのは、自分を諌めてくれる人間がいなくなることです。
人から何も言われないのは、あなたが完璧な人間だからではありません。
まして、怖いからでもありません。
信頼されていないからだということを忘れないでください。