「所詮は占いですよね」と言われて思うこと
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「こんなの占いですよね」
と言われた。
「うん、その通りだな」
と思った。
僕はいつも不思議なのだ。
生年月日で分類すると「占い」になる。
クレペリン検査は、1桁の数字をひたすら足していく。
すると検査になる。
足し算をひたすら繰り返すことが、性格とどう因果関係があるのだろうか?
よくよく考えると、不思議なことだ。
そもそも構造は同じである。
足し算の結果で、「この人はこんな人?」がわかるわけではない。
逆である。
「こんな人」は足し算を繰り返すと、統計上こんな形になる。
だから、この形になる人は「こんな人」だ。
ということを示している。
同じように、こういう人がいて、その人たちの生年月日データを見るとこうなっている。
そういうデータから逆算している。
だから、対して変わらなくね?と思っている。
そもそも、僕は生年月日にしろ、足し算にしろ、それだけで人間という複雑な生き物を理解することは不可能だと思っている。
ちなみに、質問に答えるような診断も同じだ。
60問とか、100問とか、200問とか。
そんなにたくさんの問いに答えられるだろうか?
最後までテキトーに選ばずに、何人の人が真面目に答えてくれるだろう?
それに人間って、日によってコロコロ変わる。
今日はこう感じたけど、明日は異なるなんてことが山ほどある。
結局のところ、僕はどれも当てにならないと思っている。
そういう中で、生年月日や血液型というのは、自分が「こう見せたい」と思っても、手を加えることができないデータである。
それに何と言っても時間がかからない。
生年月日さえわかればいいんだから、簡単である。
幼稚園児とかに質問するの、大変だもん。
そう考えると、とてつもなく簡単にデータを出すことができる点で、とても優秀だと思っている。
時間的なコストを極限まで押さえることができるのだ。
だから、「当たってるんですけど、こんなの占いですよね」と言われて、あー別にムカついたりはしないいんだけど、占いだろうと何だろうと、使えるならそれでいいじゃねーか、と思ったわけです。
使えなかったら意味がない。
使えるならそれでいい。
僕はそう思うんだよな。