「自分らしさ」って何ですか?見つけにくいものですか?
「自分らしくありたい」と誰もが考える。
ところで、その、「自分らしく」ってのは、どんな状態だい?
そう尋ねると、多くの人が言葉を詰まらせる。
いったいぜんたい、君の自分らしさって何なんだい?
そう問われた瞬間、人生の迷い道に入り、人は「自分探しの旅」を始める。
読書に励んだり、自己啓発セミナーに参加したり、一人旅をしてみたり。
行き着く果てはインドだったりするww
基本的に「自分探し」をしてみても、「自分」なんてものは見つからないものである。
だってあなた、目は外側を向いていて、いまだに僕は自分の姿を生で見たことがないわけですよ。
一生、僕は僕の顔も、背中も、自分の目で確かめることはできないのだよ。
テレビ画面に映る僕も、鏡に映る僕も、いつだって2D画像で、死ぬまで僕は、僕を3Dでは見られない。
ここに「自分」はいるんだけど、みんなどこかに「自分」がいると信じてる。
どこにもいない。
自分を探しても、自分はどこにもいない。
ここにしかいないのです。
ここにしかいないけれど、目の前には一生現れないからね。
あー、なんだか厄介なのが自分ですわ。
僕は「自分らしさ」の正体について考えている。
先日も「自分らしい文章が書きたい」と言われた。
いやはや、それはどんな文章だい?と尋ねると、急に「自分らしい文章が書きたい」という思いが萎んでいく。
みんな「自分らしく」と口にするけど、その実、「自分らしさってなんだい?」に対する明確な答えは持っていないかったりするのだよ。
でね、僕はこう考える。
自分らしくいる状態ってのは、エネルギーの乗った状態なの。
エネルギーが乗ってるとさ、生き生きとしてくるじゃない?
エネルギーって使えば使うほど、さらに湧いてくるもの。
これ、体力は反対だよね。
使えば使うほど枯渇していく。
ヘトヘトになっちゃう。
でも、エネルギーってのはさ、乗ってくるとどんどん意欲が湧いてくるのよ。
もっとやるぞ!もっとやるぞ!って感じね。
だから、僕は人と仕事をするときは、その人のエネルギーが乗っかるように仕向けていく。
毎日いろんなクライアントさんと話をするんだけど、僕が考えるのはその一点で、その人がエネルギーを乗せて自分の活動ができるような建て付けを考える。
一般的なコンサルタントは自分のやり方を教えたがる。
Instagramが得意な人はInstagramを教えるし、動画が得意な人は動画を勧める。
でも、僕はその人のエネルギーが乗らないことはやらなくていいと思っている。
だって、エネルギーが乗らないことをやったって広がるはずないもん。
やりたいことをやればいいんだよ。
ただ、整理整頓だけはしておかないと、コンテンツがバラバラになっていく。
そういうものをきちんと集約して、お客様フレンドリーな状態にしたい。
多くのクライアントさんが、「私はこんなことをやっています」というけれど、その人のSNSを眺めていてもそれが確認できない。
ユーザーからすると、「欲しい」と思っているのに、その情報に辿り着けない状態。
こういう状態をまずは解消したいと思っている。
んで、あとは好きなことを発信してくれ、と。
そこから読者の反応を見て、何をしていくかなんて決めればいい。
自分らしさってのは、自分で見つけるものではなく、他者が見つけてくれるものだと思っている。
思春期の子が急におしゃれに目覚めたりする。
それまでは「人と比べる」という感覚がなかったから、そういうことに無頓着だったものが、急に他者を意識し始めて変わる。
他者が自分というディティールのぼんやりしたものの輪郭を際立たせてくれる感じだね。
だから、発信したり人と関わったりするうちに、いろんな人から「それ、あなたらしいね」「あなたってこんな人だね」と言われる。
そういう言葉を聞いて、「ああ、そうなんだー」と自分らしさって何に気づくのだよ。
だから、自分らしさなんて、探したって見つからないよ。
それよりもね、目の前のこと、エネルギーを乗せて取り組むのさ。
生き生きとした自分でいられるように、心を整えたり、関わる人や環境に気を配ったりするんだな。
やっぱ、自分が自分でないような生き方をしてると、「自分らしさって何?」と迷子になるよな。
だから、エネルギーを乗っけて生きよう。
それが自分らしさに出会う「はじめの一歩」だぜ。
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