なぜ「叱った」のに「怒られた」となるのか
相手に伝わるのは「感情」です。
どれだけ優しく叱っても、子どもたちは「怒られた」と表現します。
声を荒げたわけでもないのに。
優しく諭したつもりです。
でも、子どもたちは「怒られた」と受け取ってしまいます。
僕は最初、このことを「子どもたちの語彙が不足している」と捉えていました。
「叱られる」と「怒られる」の違いがわからないのだと思っていました。
でも、そうではないことにようやく気がついたのです。
「叱る」という言葉は、叱る側の言葉です。
「怒る」はそれを受け取る側の言葉です。
「叱る」は「行為」ですが、「怒り」とは「感情」です。
僕は「叱っている」大人を見ると、やはり「怒っているな〜」と感じました。
言葉を通して何かを伝えようとしても、伝わるのは感情だけです。
試しに「叱られた子ども」に、「さっきなんで叱られてたの?」と尋ねます。
すると、「う〜ん、よくわかんない」と、叱られた理由のわかってないことがよくありました。
それで、こう続きます。
「何言ってるかはわかんなかったけど、怒ってたよ」
叱っている当の本人は叱っているつもりなのです。
ですが、受け取る側は「何を怒っているのだろう?」と感じているわけです。
そもそも、まったく「怒り」を見せずに「叱る」というのは至難の技のように感じます。
どうしても、怒りが伝わります。
腹が立っているわけです。
喧嘩や暴力。
忘れ物に提出物。
係りの仕事をサボったとか。
それこそ成績が悪いなんてのもそう。
「叱る」ときは、どうしても「怒り」の感情が顔を出しています。
そして、子どもたちはその「怒り」の部分のみを受け取ってしまうようです。
ですから、先生は「叱った」つもりでも、「子どもたち」は「怒られた」となってしまうわけです。
ハッピーな先生になるためのステップ
「叱る」と「怒り」を届けてしまうこと